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	<title>家電流通史 - （株）流通ビジネス研究所</title>
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	<description>　　家電流通のプロフェッショナル</description>
	<lastBuildDate>Wed, 29 Mar 2023 08:18:47 +0000</lastBuildDate>
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	<title>家電流通史 - （株）流通ビジネス研究所</title>
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		<title>加藤馨氏の評伝「正しく生きる」発売</title>
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		<dc:creator><![CDATA[研究所長　川添 聡志]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Mar 2023 08:18:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>
		<category><![CDATA[会社の歴史]]></category>
		<category><![CDATA[家電流通史]]></category>
		<category><![CDATA[加藤馨]]></category>
		<category><![CDATA[正しく生きる]]></category>
		<category><![CDATA[立石泰則]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>ジャーナリストの立石泰則氏が執筆された、ケーズデンキ創業者・加藤馨氏の評伝が岩波書店から発売されました。 立石 泰則・著『正しく生きる　ケーズデンキ創業者・加藤馨の生涯』（岩波書店）終戦直後の焼け野原のなかで妻と二人で始 &#8230;<br /><a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/2263" class="more-link pen_button pen_element_default pen_icon_arrow_double">続きを読む <span class="screen-reader-text">加藤馨氏の評伝「正しく生きる」発売</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p class="wp-block-paragraph">ジャーナリストの立石泰則氏が執筆された、ケーズデンキ創業者・加藤馨氏の評伝が岩波書店から発売されました。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow">
<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://www.iwanami.co.jp/book/b621820.html" target="_blank" rel="noopener" title=""><strong>立石 泰則・著『正しく生きる　ケーズデンキ創業者・加藤馨の生涯』（岩波書店）</strong></a><br>終戦直後の焼け野原のなかで妻と二人で始めたラジオ修理店を、全国有数の家電量販店へと育て上げた加藤馨。「会社はそこで働く全員のもの」とする、彼のユニークな会社観、経営哲学はどのようにして生まれたのか。生い立ちから戦争体験、起業、引退後の暮らしまでを、丹念な取材によって明らかにし、その人生を戦後家電流通史とともに描き切った壮大なノンフィクション作品。</p>
<cite>岩波書店Webサイトより</cite></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">パナソニックやソニーといったメーカー、ヤマダ電機やケーズデンキといった流通、製販両面から家電業界全体を長く取材してきた立石氏だからこそ書けた評伝です。生い立ち、戦争体験、そして戦後にラジオ修理店を始め、後のケーズデンキの土台となる経営思想を築いたその背景に詳しく迫っています。立石氏は、柳町事務所に眠る多くの資料を丹念に調べ、ひとつひとつの出来事の背景を解き明かしながら、加藤馨氏がどうして「人を大切にする経営」「がんばらない経営」「会社はそこで働く全員のもの」という経営思想に至ったのか、そして創業当初からどのように経営思想を実践してきたのか、明らかにしています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">加藤馨経営研究所を立ち上げたメンバーとして私も微力ではありますが、加藤馨氏が残した資料の整理、あるいは古い記事や外部資料などを探すなど手伝わせていただきました。とはいえ立石氏の執筆も困難を極め、最終的に実に456ページの長編となり、とても読み応えのある書籍となっています。世の中によくある「経営者の成功談」ではありません。日本が経験した戦争、家電流通史を学べるとともに、正しく優しさにあふれた魅力的な人物の生涯を追体験できます。ふだん読書をされない方は、書籍の厚さに尻込みするかもしれませんが、内容はとても読みやすいので、経営者や家電業界関係者に限らず、幅広い方に読んでいただきたいと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">昨今、米国経済界でも「会社は株主のもの」から「会社は従業員のもの」に考え方がシフトし、社員満足度の重要性などが注目されています。しかし、そのような世の中の潮流とは関係なく、加藤馨氏は「人を大切にする経営」を創業当初から実践してきました。「きれいごとでは経営はできない」という声もよく聞きますが、加藤馨氏が創業した加藤電機商会は、「ズルをせずに正しく」「人を大切に」しながら厳しい競争環境を勝ち抜き、現在ではケーズホールディングスという、日本を代表する流通企業の一つになっています。加藤馨氏の「人を大切にする経営」に、ようやく時代が追いついたと言えるかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">本書を読み、加藤馨氏の生き方や思想を知り、共感する人が一人でも多く増えることを期待します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">Webで購入する場合はこちらから　<a href="https://amzn.asia/d/60ZyeN1" target="_blank" rel="noopener" title="">アマゾン</a>　<a href="https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784000614931" target="_blank" rel="noopener" title="">紀伊国屋書店</a>　</p><p>The post <a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/2263">加藤馨氏の評伝「正しく生きる」発売</a> first appeared on <a href="https://ryutsu-biz.co.jp">（株）流通ビジネス研究所</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>浄弘博光氏（上新電機）の言葉</title>
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		<dc:creator><![CDATA[研究所長　川添 聡志]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Sep 2021 02:51:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家電流通史]]></category>
		<category><![CDATA[上新電機]]></category>
		<category><![CDATA[浄弘博光]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。 当研究所はケーズデンキの創業精神を研究し伝えることを使命としていますが、だからといってケーズデンキ以外の流通はどうでもいいというわけではありません &#8230;<br /><a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/941" class="more-link pen_button pen_element_default pen_icon_arrow_double">続きを読む <span class="screen-reader-text">浄弘博光氏（上新電機）の言葉</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p class="wp-block-paragraph"><strong>※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">当研究所はケーズデンキの創業精神を研究し伝えることを使命としていますが、だからといってケーズデンキ以外の流通はどうでもいいというわけではありません。加藤馨氏や加藤修一氏が会社を大きく育てた時期に、同業他社でどのような動きがあり、どのような考え方の経営者がいたのか、調べることも、ケーズデンキ創業精神を研究するうえで不可欠なことです。今回は、研究所で収集している書籍の中から、「愛　浄弘博光50年の生涯　そのまごころと信念」に掲載されている上新電機・創業者の言葉を紹介したいと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">上新電機の実質創業者と言えるのが浄弘博光（じょうぐ・ひろみつ）氏。1935（昭和10）年に生れ、1950（昭和25）年に中学卒業と同時に、父が始めた上新電機産業株会社に入社。創業20周年となる1968（昭和43）年に代表取締役に就任しました。浄弘氏は幼少の頃、成績優秀な子だったが、戦時中でもあり空襲のある大阪を避け福知山市に疎開。終戦後大阪に戻ると、家業を手伝いながら学校に通ったといいいます。高校、大学と進む人も増える中、「家のために、学校に行かずに仕事を手伝ってほしい」と母に請われ、大声で泣いたものの、進学したい思いを断ち切り、中学２年の１学期を最後に学校に行かなかったそうです。思いを断ち切ってからは、極度の近眼になるほど、休む間もなく仕事に徹底的に取り組みました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、会社を軌道に乗せていくと、やがて正規の学業を修めていないハンデを感じるようになります。浄弘氏は、簿記を身につけたい、漢字も書けないようではこれからの時代を乗り切れないと感じ、最終的に、今までどおりに商売に打ち込みながら、それに加えて、英語や簿記、国語、習字などを何食わぬ顔で独学で勉強しようと心に決めます。言葉にすると「そうなのか」程度にしか感じないかもしれませんが、過労により慢性化した腎臓病を患うほどの大変な努力でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">東日電やNEBAといった業界団体で、研究会や講演、研修などに参加し、いろいろな経営者と交流があった加藤修一氏は、もちろん浄弘氏とも面識があります。「学校は出ていなかったけど経営者としてすごい人だった。この時代の人は、机上で勉強したり考えたりするだけでなく、実践経験を積み重ねていたからね」と振り返ります。研究所には1977（昭和52）年のNEBA主催「米国小売業マネジメント視察」のパンフレットがあります。13日間かけて米国各地を回り、流通店舗を視察する研修旅行ですが、参加者リストの一番上に名前があるのが浄弘博光氏です。ちなみに加藤修一氏はリストの下のほうで宿泊でも二人部屋をあてがわれています。</p>



<div class="wp-block-group"><div class="wp-block-group__inner-container is-layout-flow wp-block-group-is-layout-flow">
<div class="wp-block-jetpack-tiled-gallery aligncenter is-style-rectangular"><div class="tiled-gallery__gallery"><div class="tiled-gallery__row"><div class="tiled-gallery__col" style="flex-basis:51.59143%"><figure class="tiled-gallery__item"><a href="https://kato-keiei.com/img_6013"><img decoding="async" srcset="https://i2.wp.com/kato-keiei.com/wp-content/uploads/2021/09/img_6013-216x300.jpg?strip=info&#038;w=216&#038;ssl=1 216w" alt="1977年NEBA米国流通視察パンフレット" data-height="668" data-id="948" data-link="https://kato-keiei.com/img_6013" data-url="https://kato-keiei.com/wp-content/uploads/2021/09/img_6013-216x300.jpg" data-width="480" src="https://i2.wp.com/kato-keiei.com/wp-content/uploads/2021/09/img_6013-216x300.jpg?ssl=1" data-amp-layout="responsive"/></a></figure></div><div class="tiled-gallery__col" style="flex-basis:48.40857%"><figure class="tiled-gallery__item"><a href="https://kato-keiei.com/img_6012"><img decoding="async" srcset="https://i1.wp.com/kato-keiei.com/wp-content/uploads/2021/09/img_6012-808x1200.jpg?strip=info&#038;w=480&#038;ssl=1 480w" alt="1977年NEBA米国流通視察ｎ参加左派名簿" data-height="712" data-id="947" data-link="https://kato-keiei.com/img_6012" data-url="https://kato-keiei.com/wp-content/uploads/2021/09/img_6012-808x1200.jpg" data-width="480" src="https://i1.wp.com/kato-keiei.com/wp-content/uploads/2021/09/img_6012-808x1200.jpg?ssl=1" data-amp-layout="responsive"/></a></figure></div></div></div></div>



<p class="wp-block-paragraph"></p>
</div></div>



<h2 class="wp-block-heading" id="色あせない浄弘氏の言葉">色あせない浄弘氏の言葉</h2>



<p class="wp-block-paragraph">頭脳明晰でありながら家庭の事情で学校に行けず、自ら働きながら学び、努力して会社を大きくした浄弘氏の人生は、時代こそ多少ずれていますが、ケーズデンキ・創業者の加藤馨氏と重なる部分もあります。戦中、終戦直後という厳しい時代を必死に生き、ラジオ修理を起点に、「信頼」される商売をしながら、市場の変化をとらえ、家電販売、そして量販業態へと商売を進化させていきました。そんな浄弘氏の残した言葉をいくつか紹介しましょう。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p><strong>企業の倒産は非常に罪悪</strong>だ。100円の金を盗んでも犯罪であるのに、社員や家族を路頭に迷わし、取引先や消費者に莫大な損害と迷惑をかける倒産が、罪にならんというのは矛盾の最たるものだ。（昭和49年 石油危機の時）</p><cite>上新電機 発行・編集「愛　浄弘博光50年の生涯　そのまごころと信念」（非売品）より　※以下引用も出典同じ</cite></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">企業は社員、取引先、お客様の生活を支える社会インフラとしての自覚が必要です。だからこそ、</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>自己の企業が発展しようと思えば、必ず相手にもプラス（利益）を与えなければならない。相手に損をさせて得る利益というのは、一回限りで終わってしまうものである。（ 昭和50年「私の経営」）</p><p>商売とは物を作る人、我々のように物を売る人、そしてその商品を使う人、つまり、<strong>メーカー・販売店・消費者の三者に利益があってこそ社会の繁栄に役立つ</strong>と考えています。（昭和53年　30周年記念式典にて）</p></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">自社だけなく、取引先やお客様が利益（利便性）を享受し、社会を豊かにすることが大切と浄弘氏は語ります。社会の繁栄につながる企業だからこそ支持され、継続的な成長が可能になるのです。自社の利益だけ考えるような企業は、取引先に迷惑をかけ、倒産して社会全体に迷惑をかけます。経営者としてそのことを忘れてはいけません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">一方で、安定的、継続的成長を果たすためには、時代の変化、環境変化に対応することも大切です。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>だいたい発想の転換というと、今までになかった全く新しいことを考えなければならないと思いがちになるものであるが、私はそういうことでもあるまいと思う。仮に画期的なアイデアを着想したとしても、過去に実例や類似品がない場合では成功率や効果、それにリスクの程度ははかりにくい。また、画期的なアイデアなど、そう簡単に浮かぶものではない。むしろ<strong>「昔の経営はどうだったのか」いう見方、考え方も必要ではないか</strong>と思うのである。<strong>経営の基本というものは、どのような時代であっても不変のもの</strong>である。時代の流れ、時代の変化に対応して戦術が多少変わるに過ぎない。（昭和50年「私の経営」）</p></blockquote>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>商売にはタイミングが非常に重要であります。余り早くても失敗いたします。遅れますとうま味が少なくなります。<strong>「人より少し早く」が成功の秘訣</strong>と思います。（昭和58年 講演）</p></blockquote>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>単に他社がやるから当社もやるでは、厳しい業界情勢の中では勝ち抜くことは出来ない。しかし、他社は他社、当社は当社という考えも危険であり、<strong>自らの体力・状況をみて”行き過ぎず、出遅れず”の戦略が重要</strong>である。（昭和56年 業界再編成に際して）</p></blockquote>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p><strong>経営は自己のペースを守るべき</strong>である。しかし、自己のペースを守ることは非常にガマンのいることだ。他人が走ればどうしてもあせりが生じてくる。しかしそこが大切だ。<strong>ガマンこそ経営者の条件</strong>ではないかと思う。</p></blockquote>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p><strong>企業は激しく変化する社会の中でも永遠に発展し続けなければならず</strong>、過去の実績の上にあぐらをかいていたのでは、敗北者となることは火を見るよりも明らかである。</p></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">かつて業界団体で優れた経営者として講演していた企業トップは何人もいますが、その後あっという間に会社が倒産したり、他社に吸収されたりすることが珍しくありませんでした。当時「優れた」と言われていた経営者ほど、他社に先行しようとする意欲が強かったように思います。上の発言は、中学生の頃から会社にかかわり、苦労しながら会社を大きくしてきた浄弘氏ならではの発言と言えるでしょう。目先の収益拡大や話題性、名誉などに流されず、会社をいかに永続させるかという長い視点で、変化対応を図ることを重視します。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>私の経営方針として、一応５年先を見通し３年計画で手を打っています。私どもの洞察力ではとてもそんな先は読めないが、せめて<strong>見えない目に望遠鏡をあてて５年先を見通し手を打っている</strong>わけです。（昭和56年　日日経済新春号）</p></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">遠い先は見えなくても、見えない目に望遠鏡をあてて5年先を見通す——至言です。とはいえ、時には経済環境の変化で、予期できない不況なども訪れます。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>人間というものは実がなるとすぐ取りたくなるものである。実の小さい青い間に先を争ってもぎとってしまうと、結局熟してもいなく、分け合っても小さいものとなる。しかし、少し我慢をすれば実は更に大きくなり、しかも味のよいものを分かち合える。収益の上がりにくい不況の時は、経営者も社員もお互いに我慢をして、<strong>大事に実を育てて、実が大きくなった時に分かち合うことが必要</strong>である。（昭和50年「私の経営」）</p></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">この発言を読むと、加藤修一氏が社員持ち株制度やストックオプション制度について、社員に向けてよく語っていた言葉を思い出します。株価が少し上がったからと、すぐ持株を売って現金化（家や車を買うために）することを、「種芋が大きくなる前に食べてしまうから、大きな収穫を得られないし、次に植える種芋もなくなる」とたとえ、我慢することが資産形成につながるのだと説いてました。経営も同じく、我慢した方が大きな成果につながることもあると浄弘氏は語っています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">時代が変わっても、市場環境が変わっても、ここで紹介した浄弘氏の発言は決して色あせていません。加藤馨氏の言葉、加藤修一氏の言葉に重なる部分もあり、家電流通における普遍的な真理、あるいは経営の極意と言えるものでしょう。上新電機はその後、お家騒動で優秀な幹部・社員がやめ、その後倒産の危機に陥りました。そのような中、トップに立った土井栄次氏は管理畑出身でありながら、社員に「会社を立て直すために１年我慢してほしい」と社員に語り掛け、浄弘氏の創業精神に今一度立ち返ろうと訴えました。阪神タイガースの優勝などの追い風もありましたが、多くの関西量販企業が消える中、上新電機はしっかり生き残り、経営体質を強化してきました。1985（昭和60）年に50才という若さで病に倒れた浄弘氏ですが、その創業精神や言葉が、会社の危機を救ったといえるのではないでしょうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="番外編-浄弘氏の接客に対する考え方">番外編：浄弘氏の接客に対する考え方</h2>



<p class="wp-block-paragraph">さて、浄弘氏の経営思想を紹介しましたが、最後にちょっと「接客」にまつわる面白いなと思った発言を紹介しましょう。現在、販売現場でがんばっている人にとっても、役に立つ、心の持ち方を変えることができる言葉だと思います。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>先日あるグループの方々と「お客様は神様ですか？」という問題を話しあったのですが、私は「お客様は子供である」と申しました。お客様が神様ならば、理屈に合わないことを言ったり、無理を言ってダダをこねたりすることはありません。ですからお客様に理屈で勝っても仕方がないわけで、私はいつも負けるが勝ちだと言っています。理屈に負けても、買っていただければ結局勝ったことになるのではないでしょうか。（昭和48年 音響メーカー研究所での講演）</p></blockquote>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>世の中、悪人も善人もいる。しかし、悪人の数に比べたら善人の方がはるかに多い。善人が多いのに、一部の悪人のために善人のお客さんに奉仕することを怠ったら、商売として間違っているのではないか。（昭和56年　対談にて）</p></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph"></p><p>The post <a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/941">浄弘博光氏（上新電機）の言葉</a> first appeared on <a href="https://ryutsu-biz.co.jp">（株）流通ビジネス研究所</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>水戸から始まった北関東家電戦争</title>
		<link>https://ryutsu-biz.co.jp/archives/658</link>
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		<dc:creator><![CDATA[研究所長　川添 聡志]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 23 Jun 2021 08:24:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家電流通史]]></category>
		<category><![CDATA[YKK戦争]]></category>
		<category><![CDATA[五円セール]]></category>
		<category><![CDATA[公正取引委員会]]></category>
		<category><![CDATA[北関東家電戦争]]></category>
		<category><![CDATA[茨城県電機商工組合]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。 1987（昭和62）年5月に、ケーズデンキ（当時はカトーデンキ）は栃木県宇都宮市に初の県外出店を果たします。前年にコジマがケーズデンキの本拠地であ &#8230;<br /><a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/658" class="more-link pen_button pen_element_default pen_icon_arrow_double">続きを読む <span class="screen-reader-text">水戸から始まった北関東家電戦争</span></a></p>
<p>The post <a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/658">水戸から始まった北関東家電戦争</a> first appeared on <a href="https://ryutsu-biz.co.jp">（株）流通ビジネス研究所</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p class="wp-block-paragraph"><strong>※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">1987（昭和62）年5月に、ケーズデンキ（当時はカトーデンキ）は栃木県宇都宮市に初の県外出店を果たします。前年にコジマがケーズデンキの本拠地である水戸市に出店したことに対抗するためでした。当時の年商はようやく100億円に届こうかという状況で、野心的に県外進出を図る意図はまだありませんでした。ケーズデンキはNEBA（日本電気専門大型店協会）に加盟していましたが、NEBA加盟企業は局地的に戦うことはあってもエリア的にある程度すみわけができていました（とはいえ、各社の出店エリアは拡大していくので、やがてはすみわけも難しくなったでしょう）。そのような時に、NEBAに加盟せず、はじめから全国展開を目指して出店攻勢をかけたのがコジマです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">加藤修一氏は著書で以下のように当時を振り返っています。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>　ケーズデンキはそれまで、茨城県内に二〇店舗ほど展開していましたが、県外に出て行ったのは、お隣栃木県のコジマさんが水戸に出店してきた翌年の一九八七年、コジマさんへの対抗上、宇都宮に出店したのが初めてだったのです。<br>　それまでにコジマさんは、茨城県に出店していましたが、売上高が三倍以上ある競争相手に目の前で派手なことをされると、やはり動かざるを得ません。<br>　全国展開をめざしたコジマさんは、新店をオープンすると開店記念と称してカラーテレビを五円で売るという荒業で攻めてきましたから、これはもうおとなしくしてたら潰れるだけです。<br>　コジマさんはさらに群馬県のヤマダさんにも戦いを仕掛け、ヤマダさんは一円セールで応戦するといった具合ですから、バブル景気の一九八〇年代末期から家電の流通市場は、北関東から大きくうねり始めたのです。<br>　　（中略）<br>　逆説的ですが、ケーズデンキはコジマさんとの戦いで、低価格路線での戦い方を覚えたと言えます。<br>　現在、家電品はほとんどがオープン価格制ですが、当時はまだ定価があった時代で、NEBA加盟の量販店は全国的に一割引が普通で、利益は二五％前後でした。その加盟店の何人かに、<br>「ヤマダさんやコジマさん相手に、仕入れ価格をもとに売価を決めるというやり方では勝てません。相手の売価を見て自社の売価を決めるようにしなければいけません」<br>　と忠告したことがあります。<br>　しかし、彼らは実際にその安売りの洗礼を受けていませんから、なかなか理解してもらえませんでした。<br>　じつはケーズデンキも戦いだと考えていましたから、一九九〇年代半ばに一円セールを実施しました。こういう関東の三社が過当競争をしたことで、事態を重く見た公正取引委員会が、やめるようにという指示を出しました。<br>　安売りするのは大賛成ですが、原価無視などという乱暴なことをやってはいけません。</p><cite>加藤修一著「すべては社員のために『がんばらない経営』」 （かんき出版）第３章「会社は脱皮してこそ成長する」より</cite></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">家電流通史における大きな転換点となった「北関東YKK戦争」です。YKKというのは、もちろんヤマダ、コジマ、カトーデンキの頭文字から。この当時の「五円セール」「一円セール」の応酬はまさに常軌を逸した戦いと言えるでしょう。当時のチラシのコピーが茨城県電機商工組合「昭和60年度　第28回通常総代会資料」の中に残されていました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="aligncenter size-large is-resized"><img data-recalc-dims="1" fetchpriority="high" decoding="async" src="https://i0.wp.com/ryutsu-biz.co.jp/wp-content/uploads/2021/06/img_5851-scaled-e1624411890960-1024x768.jpg?resize=755%2C566&#038;ssl=1" alt="コジマ水戸店オープンチラシ" class="wp-image-660" width="755" height="566"/><figcaption>1986（昭和61）年3月14日にオープンしたコジマ水戸店のオープンチラシ。<br>日替わり品として、テレビ、ラジカセ、ファミコン、掃除機、コタツが5円で販売されている。</figcaption></figure></div>



<p class="wp-block-paragraph">茨城県電機商工組合は、このチラシを問題視します。全国家庭電気製品公正協議会茨城県支部長から、公正取引委員会と茨城県知事あてに「過大景品の提供に該当する行為」として調査を求める申告書を提出した旨、総代会資料には掲載されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">翌年の茨城県電機商工組合「昭和61年度　第29回通常総代会資料」を見ると、公正取引委員会から小島電機（コジマ）代表取締役小島勝平氏に対し、法律上の措置は出されなかったものの、警告が出されたことがわかります。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="aligncenter size-large is-resized"><img data-recalc-dims="1" decoding="async" src="https://i0.wp.com/ryutsu-biz.co.jp/wp-content/uploads/2021/06/img_5849-scaled-e1624411866562-1024x768.jpg?resize=737%2C553&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-661" width="737" height="553"/><figcaption>茨城県電機商工組合「昭和61年度　第29回通常総代会資料」の取引公正部の事業実施報告として掲載された、小島電機に対する公正取引委員会の通知書および茨城県生活福祉部長からの警告書</figcaption></figure></div>



<p class="wp-block-paragraph">ちなみに茨城県電機商工組合「昭和61年度　第29回通常総代会資料」には、取引公正部の事業実施報告の主な事例として、以下のような記述も見られます。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>②昭和61年9月19日（金）～23（火）　コジマ勝田店配布の不法チラシ広告（555円セール）同カトーデンキ東海店配布の不法チラシ（770円セール）に対し同年10月8日茨城県知事並に公正取引委員会に申告するとともに昭和62年1月23日コジマ土浦店開店セール（555円）を兼ねて知事および公正取引委員会に提訴。</p><cite>茨城県電機商工組合「昭和61年度　第29回通常総代会資料」</cite></blockquote>



<div class="wp-block-image"><figure class="aligncenter size-large is-resized"><img data-recalc-dims="1" decoding="async" src="https://i0.wp.com/ryutsu-biz.co.jp/wp-content/uploads/2021/06/img_5854-scaled-e1624411846159-1024x768.jpg?resize=749%2C562&#038;ssl=1" alt="" class="wp-image-662" width="749" height="562"/><figcaption>茨城県電機商工組合「昭和61年度　第29回通常総代会資料」にある取引公正部の報告。<br>コジマの555円セールと、それに対抗したカトーデンキの770円セールを公正取引委員会に提訴している</figcaption></figure></div>



<p class="wp-block-paragraph">「五円セール」ではありませんが、コジマの「555円セール」に対抗してカトーデンキも「770円セール」を実施しているなど熾烈な戦いがうかがい知れます。この時期について、「風雲家電流通史」（日刊電気通信社）では、「北関東家電戦争と位置づけられている、いわゆるYKKの三つ巴の戦いは、コジマがカトーデンキの本丸・水戸に出店した日から始まることになる」と記されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この時期の電機商工組合の資料には、「全国電商連は（中略）全国組織を挙げて努力を続けているが、一部を除いてディスカウント、スーパー、ホームセンター等は全く協力が得られず、自由競争の美名のもと弱肉強食は当然と、規約の趣旨理解と協力には日時を要する現況で全く遺憾に堪えません」「公正競争規約も多くの違反指摘、要望協力を行ない稍やくその成果が挙がりつゝあった矢先年末商戦頃から施行以前に倍して不法チラシが横溢し遂いに、日替り五円販売セールとエスカレート、無法安値販売チラシに対しては、法治国家の国民として又公的法人として組織の総力を挙げて斗い市場正常化の為め努力する」「自由競争下大資本、大型店化に拍車がかかり、地域進出は激増したために弱小小売店は極度に経営を圧迫され、数多くの組合員店は生き残り作戦に汲々としているのが実態ではなかろうか」など、厳しい表現が多く見られます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">北関東YKK戦争に巻き込まれた地域電気店にとってはまさに死活問題だったでしょう。しかし、従来通りの儲かる売価を維持するべく、市場競争を抑制する活動はなかなか消費者の理解を得られません。以前紹介した現エディオンの「<a href="https://ryutsu-biz.com/kato-keiei/archives/582" target="_blank" rel="noreferrer noopener">広島第一産業事件</a>」で低価格で販売した第一産業に対し、メーカーに出荷停止の圧力をかけた全ラ連と同様です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">加藤修一氏が先の引用で語っているように、原価無視の乱暴な売り方はいけませんが、消費者のために「安売りする」努力は欠かせません。「そうこうするうちに、NEBAのメンバーを始め各地の量販店は、コジマさんとヤマダさんの勢いに影響を受けるようになっていった、というのがバブル経済が終わりを告げた一九九〇年代から二〇〇〇年初頭にかけての状況で、家電流通業界が価格破壊の流れに翻弄された時代でした。よつば電機の破綻は、そうした流れの中で起きたものです」と加藤修一氏は著書で振り返っています。よつば電機は、後にカトーデンキが救済のために買収し、再建に大きな苦労をしたものの、結果的に後のFC展開、M&amp;Aの成功につながるノウハウの獲得につながります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">まだ規模が小さかったカトーデンキですが、コジマとの極端なセール合戦で揉まれたことで、ローコスト経営に磨きをかけ、「逆説的ですが、ケーズデンキはコジマさんとの戦いで低価格路線での戦い方を覚えた」のです。加藤修一氏は、コジマやヤマダとの北関東戦争を経験したことで「強い会社になることができた」と振り返ります。この「強い」というのは、販売力がある、店舗間競争で負けないという単純な優劣ではなく、「どのような状況にあっても、対応できる余力や選択肢を持つ経営」であり、「どのような競争環境、市場環境であってもしっかり利益を出せるローコスト経営」です。社員が無理をして数字を作っている会社は、市場が好調な時はうまくいっても、ひとたび市場環境が悪化すると、社員がさらに無理を重ねなければ倒産に追い込まれます。それよりも、競合に対抗できるだけの余力を持ち、やるべきことを徹底してやることが「真の強さ」につながります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">歴史に「もし」はありませんが、北関東YKK戦争がなかったら、今のケーズデンキも、「がんばらない経営」と言う言葉もなかったかもしれません。栃木県のコジマ、群馬県のヤマダ、そして茨城県のカトーデンキ。北関東というエリアで熾烈な戦いを繰り広げた3社は、その後家電流通の主役へとのし上がっていきます。一方で、かつて隆盛を極めた地方量販の多くが、バブル崩壊を機に退場していくことになります。</p>



<p class="wp-block-paragraph"></p><p>The post <a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/658">水戸から始まった北関東家電戦争</a> first appeared on <a href="https://ryutsu-biz.co.jp">（株）流通ビジネス研究所</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>家電業界の歴史を研究する</title>
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		<dc:creator><![CDATA[研究所長　川添 聡志]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 12 May 2021 08:27:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家電流通史]]></category>
		<category><![CDATA[エディオン]]></category>
		<category><![CDATA[ダイイチ]]></category>
		<category><![CDATA[デオデオ]]></category>
		<category><![CDATA[久保道正]]></category>
		<category><![CDATA[第一産業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。 加藤馨経営研究所では、ケーズデンキ以外の家電流通企業に関する書籍も収集しています。事務所では、現在以下のような書籍を所有しています。 蓮の花は泥水 &#8230;<br /><a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/582" class="more-link pen_button pen_element_default pen_icon_arrow_double">続きを読む <span class="screen-reader-text">家電業界の歴史を研究する</span></a></p>
<p>The post <a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/582">家電業界の歴史を研究する</a> first appeared on <a href="https://ryutsu-biz.co.jp">（株）流通ビジネス研究所</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p class="wp-block-paragraph"><strong>※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">加藤馨経営研究所では、ケーズデンキ以外の家電流通企業に関する書籍も収集しています。事務所では、現在以下のような書籍を所有しています。</p>



<ul class="wp-block-list"><li>蓮の花は泥水にしか咲かない　久保道正　※デオデオ（現エディオン）創業者の自伝</li><li>ラオックス70年史 1930－2000</li><li>未来への絆　マツヤデンキ三〇年</li><li>ヤマダ電機の礎</li></ul>



<p class="wp-block-paragraph">ラオックスやマツヤデンキは、かつては業界の顔ともいえる存在でした。NEBA（日本電気大型店協会）は2005年に消滅しましたが、その初代会長はラオックス創業者の谷口正治氏、二代目会長はマツヤデンキ創業家の平井進吾氏が務めました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">家電流通の歴史を同業他社、あるいは地域電気店などの視点から見て、比較研究することで、加藤馨氏の経営手法は何が違ったのかを浮き彫りにすることができます。また、加藤馨氏が実施された様々な施策なども、当時の業界の流れに沿ったものだったのか、あるいは独自性があったのかが明らかになります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">各地に量販店が誕生し、「全日本電器大型店経営研究会」（通称、全日電）が設立されたのが1963年。全日電は全国8地区にブロック組織を持ち、関東エリアの「東日電」にケーズデンキ（当時は加藤電機商会）も1968年に加盟します。ちなみに、加藤修一氏が加藤電機商会に入社したのはその翌年1969年です。加藤修一氏は、入社前からメーカーや東日電が開催する会合や勉強会に加藤馨氏の代理として参加していたそうです。そのような場で学んだ知識は、当時の加藤修一氏のメモを見ても膨大な量です。そして、その知識に裏打ちされた経験が、がんばらない経営へと昇華されていくのです。さらには、若くして先輩経営者や二世経営者たちと付き合ってきたことも大きな財産となっています。</p>



<h2 class="wp-block-heading" id="第一産業事件-デオデオ創業者-久保道正氏の回想">第一産業事件：デオデオ創業者 久保道正氏の回想</h2>



<p class="wp-block-paragraph">戦後の復興の中で急速に拡大する家電市場は、1955年から60年にかけての5年間で家電製品総生産額が384億円から3727億円とほぼ10倍という驚異的な成長を遂げます（日刊電気通信社『風雲家電流通史』）。急速に市場が拡大したこの時期、家電流通業界は大きな変革の波が訪れました。家電メーカーは、自社の販路を確保するために1950年代後半に系列店を組織します。また、自社製品の販売を強化するために、卸業者や一部の販売店に対しリベートを供与するようになったのもこの時期です。その後いろいろな経緯を経ますが、家電市場において専門店チャネルが圧倒的なシェアを持つようになったのは、この時期に一因があると思われます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この当時の代表的な事件が1957年の「第一産業事件」です。第一産業は後にダイイチ、デオデオと名称を変え、現在はエディオンとなっています。当時急速に普及が進み始めた家電（白黒テレビや電気洗濯機など）は飛ぶように売れていました。そのような中で、第一産業が1956年1月の広島テレビ開局記念として大売出しを実施。メーカー指示小売価格を下回る価格で販売します。これに対し、広島市ラジオ電器商業組合がメーカーに商品の出荷停止を行わせる目的で、組合員に使い物にならない死蔵在庫を一斉にメーカーに返品させる抗議行動を行わせます。著書「蓮の花は泥水にしか咲かない」で久保道正氏は以下のように振り返っています。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>忘れもしませんが、その年の四月八日、お濠近くの白島会館に数百名の広島の電気屋さんが集まり、居並ぶメーカー十八社の代表に対して「第一産業に対する出荷を停止せよ」といって迫りました。<br>　全ラ連の東京本部からも応援にきているので、電気屋さんたちは鼻息が荒い。メーカー側がなんとかとりなそうとしても、<br>「第一産業を煮やしあげたる（痛めつける）んじゃけえ、かばちたれるな（文句いうな）」とそれはすごい剣幕です。メーカーは電気屋さんたちに圧倒されました。<br>　当時はいまとちがって、メーカーが輸出に頼る部分はほんのわずかで、国内需要を大幅に伸ばすために、小売店をナショナル系列とか東芝系列とかいったぐあいに系列化して地歩を固めようとしていた時代ですから、小売店から集団で迫られるとメーカーも弱かったのです。メーカー側はついに出荷停止の要求を吞みました。<br>　しかし、私のほうはたかをくくっていました。商品は溢れるほどあるのだから、出荷停止なんて口でいうだけで、実際にできるはずはないと思っていたのです。<br>　ところが、ほんとうに品物が入らなくなってしまいました。どのメーカーもわが社に対する出荷をぴたっと止めてしまったのです。</p><cite>久保道正著「蓮の花は泥水にしか咲かない」（ミリオン書房）</cite></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">メーカーの指示小売価格があった時代です。売れる家電で価格が維持されていれば儲けも大きくなります。そのような「おいしい」環境を乱す裏切り者を、全ラ連（全国ラジオテレビ電機組合連合会）が吊るしあげたわけです。その理不尽さを理解するメーカーがこっそり商品を回そうとしても、遠い場所の問屋から仕入れても、全ラ連がすぐに突き止め圧力をかけます。結局、第一産業は約2か月間閉店を余儀なくされました。たがて、この騒ぎはマスコミにも取り上げられ、「低物価主義の第一産業」「メーカーの独禁法違反」といった論調の記事が出るようになります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのような中、商工会議所から声がかかります。市場安定協議会のメーカー代表者、そして全ラ連広島支部の代表者との話し合いの場が持たれます。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>　「久保さんよ、全ラ連に入りなさいよ。こんな問題は簡単に片づくんじゃから。組合に入りさえすりゃあ、品物はすぐ入るよ」といいます。品物が入荷せずに苦しんでいた私は、思わず「はい」といいかけてしまいました。<br>　どの電気屋さんにも品物がないというならがまんも、できますが市場には溢れるように商品があるのにうちの店にだけないのですから、本当に苦しかったのです。専務理事の言葉が天の救いのように聞こえて、「はい」という返事が喉のところまで出かかったのですが、それをかろうじて呑み込んで、「よく考えてみます」といって、やっとの思いで会議所を出ました。正直いって、そのときはそれが精いっぱいだったのです。</p><cite>同上</cite></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">人間というのは弱い生き物だなと、久保氏はつくづく思います。組合に入れば、良い商品を安く提供するという商売ができなくなるとわかっていても、苦しい状況では藁をもつかもうとしてします。しかし、しがみついたが最後、ずぶずぶと沈んでしまう。わかっていても誘惑に負けそうになってしまうのです。人間の心の弱さをかみしめながら、会社に帰ると社員に向けて以下のように話しかけます。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>「組合に入ればすぐ品物が入るといわれて、思わずイエスといいそうになってしまった。危うくその言葉を呑み込んで戻ってきたが、もう少しで君たちを裏切るところだった。ほんとうにすまなかったと思っている。皆と誓いあったとおり、これからもまだまだがんばるから、頼むぞ」と社員たちに率直に謝まり、自分の気持ちを引きしめ直したのでした。</p><cite>同上</cite></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">やがて報道が過熱し、騒ぎが注目されるようになると公正取引員会が動き出します。聴取に応じると、第一産業の販売方法に問題はないという見解になり、「第一産業に対する出荷停止を解除せよ」との勧告が出されます。すると、各メーカーが待ってましたとばかりに品物を出荷してきて、商売が一気に軌道に乗ります。久保氏はこの事件を以下のように振り返っています。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow"><p>　出荷停止を受けたのはたしかに苦しいことではありましたが、自分が苦しいときには相手はもっと苦しい、という教訓を得たことは大きかったと思います。これは後でわかったことですが、私が品物が入らなくて困っているとき、相手の電気屋さんたちは、品物はどんどん入るが誰も買ってくれない、という状況におかれていたのだそうです。<br>「第一産業は一所懸命安く売ろうとしているのに、お前らは高く売ろうとして騒いでおるのか」といって、お客さまから責められていたわけで、そのほうが私などよりもっと苦しかったといいます。苦しいときはお互い苦しいわけですが、紙一重のところでがまんしたほうが勝つのだということを、骨身にしみて痛感させられた次第です。」</p><cite>同上</cite></blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">第一産業のこの事件は、その後量販店が家電市場で確固たる地位を築いていくようになっていく上でのターニングポイントとなった出来事のひとつです。そして、急速な戦後復興の中で大きく変化する流通業界を勝ち抜き、ビジネスを拡大してきた創業者には、さまざまなドラマがあります。「こうしたほうが得」「このほうが効率がいい」「数字が良くなる」といった経営理論とは別次元の、商売に対する強い思い、強い意志があります。そしてまだ会社組織の規模が小さかった分、社員との熱のこもったコミュニケーションがあります。このような創業者の精神や歴史は、やはり大切に社員が語り継いでいくべきものでしょう。第一産業は、後にダイイチ、デオデオと名を変え、その後エイデンやミドリ電化と合併し、エディオンとなります。このように合従連衡が行われると、創業の歴史も、創業者の精神もリセットされてしまわないかと心配になります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">家電量販企業、あるいは電気店組合などの資料を集めたり目を通したりしていると、かつて名を馳せた有名企業でも、その創業者の言葉や歴史がほとんど残っていない企業が少なくないことに気づかされます。これは業界にとって大きな損失と言えるでしょう。今家電販売にかかわっている若い世代も、歴史から学べることは決して少なくないはずです。当研究所は加藤馨氏の創業精神を伝えることを使命としていますが、ケーズデンキの歴史だけでなく、家電流通の歴史全体をとらえ、かつて業界発展に貢献した人々の取り組みやドラマを少しでも多く残していければと考えています。</p><p>The post <a href="https://ryutsu-biz.co.jp/archives/582">家電業界の歴史を研究する</a> first appeared on <a href="https://ryutsu-biz.co.jp">（株）流通ビジネス研究所</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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