※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。
加藤修一氏と長く一緒に仕事をしていた古株のケーズデンキ元社員でも、加藤修一氏に会うと「やっぱり緊張する」と話します。普段、研究所で加藤修一氏と話し、加藤修一氏の人柄を知る研究所メンバーとしては、どうしてそんなに緊張するのかと不思議に感じます。
理由を考えてみると、それは加藤修一氏が決して社員と慣れ合ったり、親しい人間で周囲を固めたりしなかったからなのだろうと感じます。流通に限らず、経営者、特に創業経営者と話をすると、多くの人が「経営者は孤独だ」と口にします。ある経営者は私が業界誌記者として取材した際、1時間の取材予定時間を1時間半もオーバーして話し、途中何度も秘書が「次のお客様がお待ちです」と伝えにきましたが、「待たせておけ」と言っていました。後で聞いたところでは、その待たせていた人というのは、知らない人のいない大会社の社長。何かその会社とトラブルがあったわけではありません。その創業経営者は業務から離れた立場の人間と、業界や事業、経営思想について話す相手がなく、記者である私とはそういう話ができるので、話をやめなかったのだと理解しました。悩んでも誰かに気軽に相談もできず、本音を語ることもできない。本当に経営者というのは孤独なものだと当時実感しました。
加藤修一氏は、取引先に対して先の経営者のような振る舞いはしませんでしたが、それでもやはり「経営者は孤独なもの」と話します。たくさんの社員の生活を背負い、会社を切り回す、そのプレッシャーは相当なものでしょう。取材している時にも、よく「周りがしっかり仕事をしてくれているだけで、俺は何も仕事をしていないよ」と加藤修一氏は笑いながら話します。実際、加藤修一氏が細かい業務指示をあれこれ出すイメージはありません。全従業員に向けて「お客様のための本当の親切」「健康を大切に」「がんばらないでやるべきことをしっかりやる」「自社株を持ち続けて資産を形成しよう」といったメッセージを繰り返し伝えることが中心です。トップは大きな方向性を示したうえで、皆が会社の精神に基づいて正しい行動をとれるようにする、そのうえで業務は販売現場を中心に任せるというスタンスです。会社としての大きな方向性が間違っていなければ問題ないという考えがあるからこそ、「何も仕事をしていない」と発言できるのだと思います。
しかしながら、世の中の多くの会社では、経営トップが自分の能力を過信し、あるいは自分の能力を示そうとして、あれこれ細かい事業や施策に口を出したがります。そのような姿勢は、従業員が自主性を失い指示待ちになったり、あるいは社長の顔色を窺って行動するようになったりして、経営の悪化を招くことが少なくありません。小さな単独店ならともかく、ある程度事業が大きくなり、業務範囲が拡大した会社は、いくら有能でも人間一人の裁量でなにからなにまでコントロールできるものではないでしょう。加藤修一氏の先の発言は、「会社が常に正しい方向に進んでいるかに目を配る」「トップは細かいことに口を出さずに、本当に大切な事だけを伝える」「会社の根幹が揺るがなければ大丈夫と伝え、従業員が安心して働けるようにする」と言い換えられるかもしれません。さらには、全従業員に向けたメッセージが『がんばらない経営』というシンプルな経営思想だからこそ、同じ内容を繰り返すことができ、全従業員にしっかり伝わり、正しい方向で会社が動くようになるのです。
このような発言や姿勢は、経営トップにしかできない役割です。自分の考えや思いを幹部に伝えるだけでなく、全従業員に向けて直接発信する——業務指示系統で間接的に伝わるのではなく、トップ自らの言葉を届けるとともに、誰でも理解できる、わかりやすい言葉で伝える。これが加藤修一氏のトップとしての「コミュニケーション力」といえるでしょう。実際、加藤修一氏は、全国店舗へのビデオメッセージや店長が集まる会議で自分の考えを伝えることをとても大切にしていました。
自分で細かい業務や施策に直接手を出すことはなく、それぞれの担当者に任せますが、だからといって特定の役員や社員をひいきにして、距離を近くするようなこともしません。周囲が「あの人は社長のお気に入りだ」と思えば、政治の世界ではありませんが、社内に「忖度(そんたく)」が発生します。こうなると、従業員の行動基準は「何が正しいか」ではなく、「あの人がどう思うか」「あの人に嫌われないか」となり、会社はおかしな方向に向かうことになります。カトーデンキ時代の元社員に話を聞くと、加藤修一社長の時代にも社内に派閥があったそうです。しかし、加藤修一氏は特定の派閥をひいきにしたり、個人と親しくしたりすることはなかったと話します。
加藤電機商会からカトーデンキ、さらにはケーズデンキになり、いろいろな会社がFCに加盟したり、あるいは子会社になったりしました。会社の規模が大きくなると、店舗で販売に携わってきた人材だけでは不足し、外部からノウハウを持った人間が入ってくることもあります。いろいろな出自の、個性的な人材が集まる中で、それぞれの能力を発揮してもらいながらも、加藤修一氏は個々人とは近すぎず離れすぎず、適切な距離感を意図的に保っていたといえるでしょう。これはとても大切なことです。トップがどちらか一方に肩入れすれば社内のバランスは大きく崩れます。バランスが崩れた会社というものは集団としての力が弱まり、もろいものです。
経営トップも人間です。親しい人間、気心の知れた人間を、片腕として近くに配したい気持ちもあるでしょう。「孤独」を避けるだけでなく、「開かれた姿勢」「周りと話し合って決める姿勢」は一見良い経営者のように映ります。しかし、「孤独」と「聞く耳を持たない」「独断的」はイコールではありません。最終的に決める「責任」を背負いながら、周囲の意見や提案に耳を傾け、任せてよいことは任せる——このような姿勢も「孤独」なものです。あえて適度な距離を保ち、全体的な視野で会社のあるべき姿、進むべき道を示す。加藤修一氏は「経営者は孤独なもの」と話しましたが、その姿はむしろ「孤高」というべきでしょう。「孤高」という言葉を辞書で引くと、「ただひとり、他とかけ離れて高い境地にいること」(大辞林)とあります。「孤独」でありながら、会社全体の状況を見渡し、会社のあるべき姿、進むべき道を見失わないようにする——まさに「孤高」です。
「孤独」を恐れず「孤高」の道を進んできた加藤修一氏だからこそ、何度も顔を合わせてきたベテラン社員が、退職後も加藤修一氏への敬意や親しみを失わない一方、会うと「緊張する」のでしょう。
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