※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。
あけましておめでとうございます。加藤馨経営研究所も今週仕事始めとなりました。2021年もコロナ禍はなかなか収まる兆しが見えず、不確実性の高い状況が続いていますが、当研究所では、どんな状況でもぶれることない「がんばらない経営」の考え方を研究し、伝えていきたいと考えております。どうぞ今後ともよろしくお願いします。
さて、今回は加藤馨さんを取材した古い雑誌記事を紹介しましょう。
「家電ビジネス」1980年9月号に「茨城県ナンバー1 低販売コスト武器に突進のカトーデンキ」という特集記事があります。1980(昭和55)年の当時のカトーデンキ(現ケーズホールディングス)の業容は、水戸市を中心に半径8㎞に6店舗(5月にオープンした勝田店を含む)、年商は13億8000万円。
ちなみに、1980年9月に加藤馨社長(当時)は、「社員のためになるようにすれば会社は成長する」で紹介したように、社員に株主になってもらうため「株式会社カトーデンキ販売」を設立します。記事は9月号ですが、5月末に勝田店(売り場面積150坪、駐車場90台)をオープンした直後に取材して書かれたものです。
カトーデンキの「誠実さ」
加藤馨社長は、これまでを振り返りながら「商売の基本は『信用第一』でうわべだけでなく本当に信頼される店になることだ」と強調します。
地域のお客さんから信頼される店がモットーだ。そのためには手頃な価格で信頼出来る商品を、豊富な品揃えの中から比較検討して買える店でなければならない。
「家電ビジネス」1980年9月号「茨城県ナンバー1 低販売コスト武器に突進のカトーデンキ」より (以下、同)
まず、嘘の広告(チラシ)を絶対に出さないということと、客のためになる広告を出すことが大切だ。本当に買ってもらいたい商品、客が求めている商品を広告することで目玉商品を使って来店してもらい、ほかの商品を買ってもらおうというような方法は間違っている。
それと客が買いそこなった、買ってあとから損をしたと思わせないことだ。そのために価格を上げたり、下げたりしない。安く仕入れたものは安く、高く仕入れたものは高くの原則でやっている。一番信用されないのは高いものも安いものも一緒に平均して値段をつけることだ。高いものは少し安く、安いものはやや高いというようになり、お客さんから「どこそこよりずいぶん高かったじゃないか」といったクレームが来ることになる。
むろん値付けは市場価格にあわせていくため仕入れに一律に粗利をかけていくということは出来ないが、いずれにしても途中で価格を上げたり下げたりはしない。古くなった機種は当然、自然に価格が下っていく。
広告や値付けは「裏表のない」ことが大切と話します。当時はまだ販売競争のルールも整備されてなく、「売れれば勝ち」という風潮すらありました。その中で、カトーデンキが「正道」を貫いたのは、水戸を中心とした安定した地盤を築いていたからという見方もできるかもしれませんが、「誠実さ」を第一とする加藤馨社長のポリシーによるところが大きいのは間違いありません。
一度来た客に、今度買う時にはここで買おうと思わせることが大事で、買った客がもうここでは買わないと思う店では絶対に繁盛しない。長く商売をやっていればいろんなことがある。客は必ず他店と比較していろいろ言ってくるが、すべての客のいいなりになっていては事業は成りたたない。
また、表示した価格からは絶対に引かないことを徹底している。これはカケ値のない店として価格に絶対の信頼を置いてもらうためで、「価格に対しては自信を持っており、お客さんにとやかくいわせない」という姿勢をつらぬく。
店の者にも来た客全部に売ろうなどと考えるなといっている。不当なサービスを要求する人は来てもらわなくてもいいというくらいの自信と信念をもたないとだめだ。
うわべだけで信頼される店といってもなが続きはしない。本当の意味で信頼できる店であれば、必ずお客は来てくれる。
お客様の中には「お客様は神様だ」「俺が買ってやるんだ」といった態度の人もいます。これはいつの時代も変わりません。しかし、加藤馨社長は正しい商売を貫いているからこそ、お客様とお店は対等の関係であるととらえています。確かに対等の関係でなければ、「相互の信頼」は生まれません。
さすがに今の時代、値引きなしで売ることは難しいでしょう。しかし、目先の価格訴求や値引きで売上を確保するのでは、もっと安い店が出現すれば簡単にお客様は離れてしまいます。また、不当なサービスを要求する人が、お店を信頼してくれているお客様よりも得をするようでは、お店を信頼するお客様も離れていきます。この店は誠実だ、信頼できると感じているお客様を裏切らないよう真摯に対応する――だからこそ「不当なサービスを要求する人は来てもらわなくてもいいというくらいの自信と信念をもたないとだめだ」と言い切れるのです。
当たり前だった「訪販」をやめる
1980年当時は混売店になっていたカトーデンキも、創業時はラジオ受信機の修理店であり、1967(昭和42)年まではメーカー系列店でした。小さな店でスタートしましたが、信用第一をモットーに「今日まで前年比で売上が下がったことは一度もなかった」と加藤馨氏は話し、8年前(1972年前後)に販売方法の主力だった「訪問販売」をやめたことを転機の一つとして挙げています。
人間というのは、ある面で勝手なもので、自分の家に物売りが来ると本人は気がつかないで言っているのかもしれないが、平気で相手を慯つけ、侮辱する言葉を言う。これではセールスは耐えられない。
また、必要な時には買いにいくからいいと言われるし、買う方も売りにこられて買うことを喜ばない。商品の比較は出来ないし価格の比較も出来ない。
こんな状況の中で無理に買ってもらおうとすると。結果的に金がなくて購入計画のない人に売ることになり代金回収がうまくいかない。
買ってくれるかどうかわからないところへコストをかけてたずねて歩くということは一番能率の悪いやり方だ。それに自分の商圏内の自分の客に売っていたんでは商いを拡大できない。そうかといって商圏の外へ飛びだしていって売って来るようなすぐれたセールスはめったにいない。
訪販で三百万売って来るセールスは、スゴイ腕だが普通は二百万前後だ。一方、店売りでいえば一人五百万というのが平均だ
メーカー系列店から混売店に移行しても、店舗周辺の狭い商圏でお客様を相手にする商売では、いわゆる「御用聞き」は当たり前の販売方法でした。足で稼いでなんぼ、といった風潮すらありました。しかし、時間をかけて訪問して回れば、時間と手間という大きなコストがかかります。ましてや、買う予定があるかどうかもわからない家庭を1軒ずつ訪ねて回っても、高い成約率は見込めません。家電という高額商品を無理に売りつければ、代金回収にも影響が出ます(まだクレジット販売も普及していない時代ですから、掛け売りした代金を店が自分で回収していました)。
「人間というのは、ある面で勝手なもので、自分の家に物売りが来ると本人は気がつかないで言っているのかもしれないが、平気で相手を慯つけ、侮辱する言葉を言う。これではセールスは耐えられない」――社員の気持ちを代弁するところにも「がんばらない経営」の社員を大切にする思いが表されています。
「競合がやってるから」「このやり方が商売の基本だ」といった常識にとらわれず、本当の意味での「コスト低減」「効率」を加藤馨社長は見極めます。流通の歴史を振り返ればわかりますが、「常識」というものは時代とともに変わります。加藤馨社長は、「売り場を広くし、多くの商品を揃べて手頃な価格で比較検討しながら買ってもらう店こそ商売の本質」という考えに至り、家電量販店への道を進んだのです。
無駄を排除し、正しく合理化
量販とは、「商品を大量に仕入れ、大量に安く売る」業態です。とはいえ、大量に売ることが業務の効率化や合理化、コスト低減につながらなければ、単なる「薄利多売」になってしまい、経営が成り立ちません。加藤馨氏は「店こそ商売の原点」の姿勢を強化するべく、本部集中管理を徹底するとともに、品揃えを豊富にし、プライスカードも見やすく、商品特長がよくわかるように変えていきます。
人件費の増加するなかで、客に無駄なサービスをしていたのでは企業として成り立たない。
客への応待がいいから価格が高くても買うという人が果して何人いるかということだ。年寄りはお世辞をよろこぶかもしれないが、若い人達は商品をよく知っているし、自分の価値判断で商品を選択する時代だけに、価格を含めたトータルでの商品力が重要だ。したがって当面は店長の教育といったことよりも立地を含めたトータルの店舗力の強化だ。
商売において「親切」は大切です。しかし、お世辞や親切でお客様に「高く買って貰う」ことはできません。これは「誠実」ではなく「だまし」にも通じるでしょう。大切なのは店という施設そのものを、選びやすく、買いやすい、魅力的にすること。それも、個々の店が店を魅力的にする努力をするより、本部集中管理で魅力的なお店に仕上げるほうが効率が良いですし、コストを抑制できます。
ここ十年来、販売コスト低減を重要課題としてきた同社だけに、ある意味ではすべての政策がコス卜低減、効率アップに裏打ちされているといってもいい。
アフターサービス体制についても従来は、販売も同時に行う体制を取ってきたが、修理にいった先で売りに時間を取られて、つぎの訪問先への時間が遅れてクレームが来る。思ったほどサービスマンの販売実績があがらないなどの理由から二つのことを同時にやらせても結果として非能率的と考えサービス体制は専門制にした。
また、配送についても従来各店対応だったが、これもロスが多いといぅことで配送課として一本化しタイムスケジュールをたてての専門化を図った。
そのほかさきにあげたチラシについても店舗配置を水戸市内にバランスよく集中配置したことで十万枚のチラシで全店の商圈をカバー出来るといった具合だ。
アフターサービス体制や配送体制の専門化など、店舗数6店舗の段階でしっかりチェーンストア経営を確立しています。多店舗展開を図る土台はすでに出来上がっていたと言えるでしょう。
渥美俊一氏がチェーンストア経営研究団体「ペガサスクラブ」を結成したのが1962年ですから、上記発言のあった1980年は、スーパーなどを中心に日本でもチェーンストア理論がある程度浸透していた時期です。とはいえ、教わったから上記のようにしたわけではないでしょう。世の中の流通の動きを見聞きし、参考にはしたでしょうが、「昭和33年の加藤電機商会に見る『がんばらない経営』の原点」での発言を見ても、加藤馨氏ならではの合理的な判断、見極めによるところが大きいと思います。事実、当時カトーデンキを上回る規模や成長スピードを誇っていた同業者の多くが、その後失速しています。「競合がこうしているから」「こういうやり方が良いと先生に聞いたから」というものではありません。
市場も世の中の風潮も、お客様の生活や行動も、つねに時代とともに常に変化します。数年前までは正しい、うまくいくと思われたことが、今は通用しない、経営上マイナスになることもあります。加藤馨氏は、決してぶれることなく、商売において一番大切な「誠実さ」を大切にし、変化する世の中で「誠実さ」をどう具現化するか、「商売のあるべき姿」を常に考え、正しく見極めています。
記事の最後に、今後の店舗の在り方について問われた加藤馨氏の、以下のような回答で締めくくられています。
地域店は、ある意味では義理人情で客とのつながりを持っているが、客の方にすれば店から固定客と見られることは、ある種の圧追感を感じるもので、うちとしては買いたい時に、買いたい物を、買いたい場所に自由に来てもらって豊富な品揃えの中から手軽な価格で購入していただける店を目指し、効率の悪い小さい店の統・廃合、従業員が成長したさいのFC展開なども今後考えていきたい
2年後の1980年に加藤馨氏は社長の座を加藤修一氏に譲ります。ラジオ修理店から混売店へとカトーデンキを育て上げた加藤馨氏が、戦後日本の復興の中で家電専門店として見出した店舗のあるべき姿、「買いたい時に、買いたい物を、買いたい場所に自由に来てもらって豊富な品揃えの中から手軽な価格で購入していただける店」。加藤修一氏が社長になり、県を超えて店舗数が飛躍的に増えていく中でも、「がんばらない経営」における「店舗のあるべき姿」として引き継がれていったのです。
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