以前、加藤馨経営研究所のFacebookでも紹介されていた、加藤修一氏が好きな言葉が『平凡のなかに本物の味がある』です。
この言葉は『菜根譚(さいこんたん)』という書物の前集7項にある「真味只是淡」という句に由来しています。『菜根譚』は明代末期の中国(16世紀)で、洪自誠によって書かれた随筆集です。菜根譚という言葉は、宋の汪信民の言葉「人咬能得菜根、則百事可做(人能く菜根を咬みえば、則ち百事なすべし)」に由来するもので「菜根は堅くて筋が多いので、これをよく咬みうるのは、ものの真の味わいを味わいうる人物である」ということを意味しているそうです。
醲肥辛甘非真味 醲肥辛甘(じょうひしんかん)は真味にあらず
真味只是淡 真味は只だこれ淡なり
神奇卓異非至人 神奇卓異(しんきたくい)は至人にあらず
至人只是常 至人はただ是れ常なり【意味】濃い酒や脂ののった肉、辛いもの、甘いものは、本物の美味しさではない。本物の味というものは淡白なものだ。同様に、人並みはずれた特異な才能がある人が、道を究めた人というわけではない。道を究めた人というのは、ただ平凡に見える人だ。
加藤氏は、『がんばらない経営』でケーズデンキを育て上げた名経営者ですから、会って話を聞きたいという人が多くいますし、時にはアドバイスを求められることもあります。高名なコンサルタントなら「○○を△△するとよい」と答えるところですが、加藤氏は、細かい営業施策や経営戦略について語ることはほとんどありません。
社員に向けた朝礼での話も同様です。「世の中のトレンドは○○だから、当社も〇〇を強化して、高い目標値をクリアしよう」といった話をすることはなく、生きる上で大切なこと、あるいはお客様と接する上で大切なことを説くだけです。その象徴ともいえるのが「キビキビと、お客様に伝わる本当の親切を実行しよう」というケーズデンキのスローガンです。これ以上の言葉はないからと、このスローガンは長く変更されていません。加藤氏の経営理念を最もよく表している言葉だからこそ、変える必要がないのです。
加藤氏は物事に対する姿勢や考えかたについては話しますが、こうしなさいという指示はほとんどしません。そのため、加藤氏の話を聞きに来た人のなかには拍子抜けする人もいますし、当たり前のことを普通に話すだけの「凡人」と思う人もいます。加藤氏を近くで見ていた人でも、細かい営業的な指示をしないので、「加藤さんはほとんど仕事をしていない。会社が成長したのは周囲の努力の結果」と誤解する人もいます。もし、面と向かって加藤氏にそう言ったとしても、加藤氏は「そうだよ。俺ができない仕事を周りがしてくれたから」と笑って返すでしょう。しかし、このような加藤氏の姿勢こそ、菜根譚の「至人只是常(至人はただ是れ常なり)」と言えます。
経営のプロは本当に優れているのか
世の中には経営のプロといわれる人もいます。傾いた会社を立て直した、利益を大幅に向上させた、あるいは周囲が思いつかないようなアイデアで大成功したなど。経済紙などでは、そのような経営のプロがもてはやされますし、ベンチャー企業のトップにもそのようなプロ経営者を手本にする人が少なくありません。しかし、短期で目ざましい成果を挙げることが、本当にすぐれた経営といえるでしょうか。
会社に勤める従業員にとって良い会社とはどのような会社でしょうか。日本においては、安定的な雇用を実現する会社が良い会社でしょう。業績が悪いと社員を解雇し、業績が良いと大盤振る舞いするような会社は、分かりやすいかもしれませんが従業員にとっては人生設計がしにくいものです。もちろん、能力の高い人ならば、能力至上主義や成果報酬制のほうが収入も格段に増え、やりがいを感じるかもしれません。また、能力の高い人ばかり集めれば会社は大きくなるかもしれませんが、常に優れた人ばかり従業員として集め続けるのは容易ではないでしょう。世の中にとんでもなく優れた人など多くいるわけでもありませんし、そもそも一口に能力といっても様々です。どんなに頭が良い人でも、組織の中では能力を発揮するどころか組織に亀裂を生じさせてしまうことだってあります。
ごく平凡な人でも無理をせずに働きながら、収入面でも大きな困りごともなく安心して生活でき、会社も個々の従業員の能力に過度に頼ることなく安定的に成長できるのが、本当に「強い会社」なのではないでしょうか。さらには、経営者一個人のスキルに頼ることなく、経営者が細かい指示を出さずとも会社が迷走することなく安定的に成長できることが「仕組みとしての強さ」です。「個人の能力」ではなく、「仕組み」で成長する会社をつくりあげることが経営者として一番優れた仕事でしょう。加藤修一氏が創業者の加藤馨氏の精神を引き継ぎ、多店舗展開、さらにはM&Aなどで会社を飛躍的に成長させたのは、このような「仕組み」づくりを徹底してきたからこそであり、その仕組みこそが「がんばらない経営」なのです。仕組みがあるからこそ、能力が特段秀でた人でなくても戦力となりますし、会社が雇用する際にも人材難を嘆かずに済むのです。
加藤修一氏に会って話した、他社の経営幹部やベンチャー企業トップが加藤修一氏を「普通の人」と感じるとすれば、「テクニック」を求めていたのに「仕組みづくりのための心構え」を聞かされるのですから、当然のすれ違いと言えます。菜根譚の「神奇卓異非至人 至人只是常」は、「人並みはずれた特異な才能がある人が、優れた経営者というわけではない。優れた経営者というのは、ただ平凡に見える人だ」と言い換えることができます。この言葉を言っていれば、加藤氏の印象もまた違ったものになっていたかもしれません。また、平凡な従業員でも力を発揮し貢献できる会社ということも、「至人只是常」という言葉の意味に含めてもいいかもしれません。
命令する必要がない
会社経営において奇手奇策はあくまで一時的なカンフル剤に過ぎず、必ずしも会社を強くするわけではありません。急ごしらえの体力強化よりも、日々地道に時間をかけてトレーニングを重ねてきた方が強い体を作れるものです。その地道なトレーニングのノウハウを学びたいなら、加藤修一氏に勝る先生はいないと筆者は思います。加藤修一氏の話を聴きたいという方は、ぜひこのことを覚えておいてほしいと思います。
最後に、加藤氏の経営に通じる言葉として、2022年9月にNHK交響楽団の首席指揮者に就任したファビオ・ルイージ氏の言葉を紹介します。
どんなビジネスにおいても、優秀で強いリーダーとは、命令をする必要がない人だと思います。優れたリーダーなら、自分が率いるチームが同じ方向に進めるよう、上手に説得できるはずです。音楽やオーケストラの世界もそれは同じです。私がいいアイデアや計画の持ち主で、向かう先がわかっている人だと納得すれば、団員もついてきてくれます。また、私がリーダーとして優れた資質を持っていることもわかってもらわなければなりません。確かに難しい問題なのですが、私は命令を下すことはしません。演奏家には、なぜこの方向に向かうべきなのか、理由を説明します。たいていの場合は、それでわかってくれます。わかってくれない場合は、さらに丁寧な説明を心がけます。それで最終的には、全員が同じ方向に進むようになります。これはどんなビジネスの世界でも同じだと思います。
NHK ニュースウォッチ9「N響 新首席指揮者ファビオ・ルイージ氏が目指す音楽」111
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