※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。
久々のインタビュー記事となりますが、連載「『がんばらない経営』を学ぶ」に新記事を掲載しました。今回は「父・加藤馨氏から学んだこと」の第1回となります。
先日7月6日に、かつてカトーデンキの駅南本店があった場所で、ケーズホールディングス新社屋を建設するための地鎮祭が行われました。加藤修一氏ももちろん式典に参加しています。
新社屋が建設される駅南は、加藤馨氏が最初に自社店舗(兼住居)を柳町に構え(当時は根積町 当研究所がある場所)、事業をしっかり拡大し、その後はじめて支店を出した場所です。駅南店は、まさに多店舗展開がスタートした地と言えます。
加藤修一氏も、地鎮祭に参加し、とても感慨深かったとのことで、今回、加藤馨氏が店舗拡大を図った創業当時を振り返り、今回語っていただきました。
1950年代後半、戦後復興する日本で、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電三品は『三種の神器』と呼ばれました。ラジオ修理店からスタートし、家電販売店として繁盛したお店はたくさんありました。サービスの良い、親切な家電販売店は、それこそ日本中にたくさんあったはずです。しかし、家電量販店に成長できたお店はほんの一部です。
その差を生んだのが、店舗拡大志向です。詳しくは記事を読んでいただくとして、ここでは記事中の言葉を引用します。
会社が発展していく上では、器となる店舗もどんどん広がっていかなければ、「繁盛店」にはなれても「成長店」にはならない。一般的に能力のある人というのは、ひとつのことをものすごく良くしようとしていく傾向がある。だから、どんどん成長したように思っていても、建物が同じままだと事業としての拡大はない。
加藤馨氏が、店舗拡大を志向したからこそ、加藤電機商会は、カトーデンキ、ケーズデンキと発展していったのです。
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