引退後の加藤馨氏の交流

2007年「創業60周年感謝の集い」で講演する加藤馨氏

※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。

加藤馨氏の残したたくさんの資料には、手紙やはがきなども含まれます。軍在籍時代の同期生や教え子、戦後電気店を始めてからの同業者、故郷の恩師や学友、また兄弟をはじめとする幅広い親族。いろいろな人とのつながりを大切にしてきた加藤馨氏は、体力的に遠出が難しくなってからも手紙のやり取りを続けていました。また、旬の食べ物などを贈っており、誰に何を贈ったかをしっかり記録するとともに、相手がお礼の手紙を書く手間がかからないよう、受領確認の返信用連絡ハガキを同封するなどしていました。

加藤馨氏が送った手紙の文面はそれほど残っていませんが、加藤馨氏宛てに送られたさまざまな返信の手紙を見るだけでも、加藤馨氏の温かい人間性が浮かび上がってきます。今回は、元従業員や取引先とのやりとりを紹介しましょう。

加藤馨氏は、人を採用するにあたっても、雇って使えなかったら首を切るといった無責任なことはしませんでした。採用にあたっては、その人がどのような暮らしをしていて、家族構成はどうか、その人の仕事や人生において何が課題で、どのような目標が必要なのか、しっかり考えていました。まだ柳町に一店舗しかない当時で、全従業員の顔が見える規模だったとはいえ、加藤馨氏の従業員を大切にする姿勢は際立っています。ある意味、従業員にとって加藤馨氏は、師匠であり、親のような存在だったと言えるでしょう。この姿勢は、取引のある証券会社の担当者などに対しても変わりありません。

加藤馨氏が名誉会長に退いたのは1995(平成7)年ですが、それから10年以上経っても、元従業員や取引先とのやり取りが続いていました。そのようなやりとりから、いくつか文章を紹介しましょう。

2006(平成18)年12月 元取引先(証券会社)からの手紙
先日はおいしいりんごを頂き誠に有難うございました。又、在職中は大変お世話になり、人の道をたくさん教えて頂き心より感謝いたしております。

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2008(平成20)年10月 元従業員の手紙(※1958(昭和33)年入社、7年後に家電メーカーに転職)
今の私があるのは十代二十代の時、加藤電機商会に勤務した事であります。五十手前の旦那さんの教えをいつも心の隅に置き、定年になるまでその教えを守り続け、長年の仕事を無事に終えることが出来ました。本当に有難うございました。
感謝の念でいっぱいでございます。今でもあの頃の夢を見る事があります。
旦那さんに是非お会いしたく存じます。あの頃の自分に戻り、また、この後も旦那さんよりご指導を得たいと思い、お言葉にあまえてお伺いいたしたく思います。 
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2013(平成25)年7月 元役員からの手紙
会長のお元気な文章にふれることが出来るだけで幸せを感ずる者ですが、さらにお心遣いを頂き、万感の想いであります。

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2006(平成18)年10月  加藤馨氏の日記
元社員だった〇〇さんと△△さんの2人が表敬訪問で来た。‥‥ひたちなか市のブルーマリンに昼食に行く。今までの人生や両名ともに一人娘がいて結婚して、1人は孫が生れたとのことで、写真まで持って来てくれた。私が89才になるのだからご両名ともに60才を過ぎているが、しっかり者の2人だ。これからも幸せで暮すことを願っている。

同上
元社員だった〇〇さんが来てイナゴの佃煮を持って来てくれた。良く働く人で退職後もこうしてくれる心に感謝したい。

加藤馨氏宛てに送られた手紙、加藤馨氏の日記より抜粋 ※一部漢字や表現を読みやすく手直ししております

これらの文章は、単なる仕事上の関係でのやりとりではありません。「人の道をたくさん教えて頂き」「旦那さんの教えをいつも心の隅に置き(中略)守り続け」という言葉からは、雇用関係や取引だけでなく、加藤馨氏が、自分と関わった人たちが正しい人生を歩んでいけるように導いていたことが分かります。経営から離れてからも、加藤馨氏は創業祭での講演で「正しい人生を送る」大切さを常々話していましたが、一店舗しかなかった当時からその考え方にぶれがなかったことが分かります。

近代日本の羅針盤と呼ばれた明治の政治家、後藤新平の言葉に「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上なり。されど財無くんば事業保ち難く、事業無くんば人育ち難し」があります。2020年2月に亡くなったプロ野球の野村克也氏が大切にした言葉として知られていますが、目先の成果を求めるのでなく、人との関わりを通じ、関わった人たちを正しい生き方に導いた加藤馨氏の生き方に通ずるものがあります。また、加藤電機商会からカトーデンキ、ケーズデンキと事業を継続成長させてきたからこそ、加藤馨氏の教えが今も残り、私たちが知ることができるのです。

「正しく生きる」姿勢には、加藤馨氏の幼少からの家庭環境、そして戦争体験が色濃く反映されているのでしょう。そして、その「正しく生きる」姿勢が、ケーズデンキの「がんばらない経営」「わが社の信条」の原点であり、ケーズデンキを飛躍的に発展させた原動力となったのではないでしょうか。

大きな組織でも、小さな組織でも、あるいは短期的な取引や付き合いでも、自分に関わった人から人生において得るものがあったと後々感謝されるような行動ができているか。多くの人は、好き嫌いや主義主張の違いで、人との付き合い方が変わってしまいがちです。加藤馨氏に直接教えを乞うことは今となっては不可能ですが、加藤馨氏の人生や考え方を研究し、伝えていくことで、間接的ではあっても加藤馨氏の教えを受け継ぎ、後世に伝えていくことができると当研究所では信じています。

加藤馨氏宛ての元従業員や取引先担当者の手紙
元従業員やと取引先担当者からの手紙。退職後も事務所に加藤馨氏に会いに訪れていた元従業員も少なくない

研究所長 川添 聡志

株式会社流通ビジネス研究所 所長 雑誌および書籍の編集者として出版業界に携わる。家電量販店向け業界誌『月刊IT&家電ビジネス』編集長を務めた後、家電量販企業に転職。営業企画やWebを含めた販促などを担当し、その後流通コンサルタントとして独立。ケーズデンキ創業者・加藤馨氏および経営を引き継いだ加藤修一氏の「創業精神」を後世に伝えるため、株式会社加藤馨経営研究所の設立に携わり研究所所長に就任。その後、ケーズデンキに限定せず、幅広く流通市場を調査研究するため、2022年1月からコンサルティング会社「株式会社流通ビジネス研究所」を設立し、同年4月より活動拠点を新会社に移行

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