※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。
戦後の流通企業の成長において、大きな役割を果たしたのが渥美俊一氏の掲げたチェーンストア理論です。渥美氏は、米国式チェーンストアの経営手法を学ぶとともに、チェーンストア理論に基づく流通企業経営を普及すべく、1962年からチェーンストア経営の研究団体「ペガサスクラブ」を主宰しました。チェーンストア理論を簡単に説明すると、あらゆる企業活動を中央集権的に本社(本部)へ集中させ、店舗がオペレーションに専念することで経営効率をあげる手法です。ペガサスクラブの初期メンバーには、ダイエーの中内㓛氏、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏、ジャスコの岡田卓也氏など、後に大規模小売業として成功を遂げた多くの人が若手経営者として参加していました。
家電小売業界においても、メーカー系列店が混売店へと変化し、混売店が多店舗展開を始めた際、チェーンストア理論を大いに参考にしました。その当時、家電業界でも様々な研究会が結成されます。1962年に渥美氏がペガサスクラブを設立した翌年、1963年に全日本電気大型経営研究会、通称「全日電」が設立(全日電は日本電気大型店協会=通称NEBAの前身)。当時、有限会社加藤電機商会の加藤馨社長は、メーカー系列店を抜け、1967年1月に東日電チェーン(全日電の地方ブロック組織)に加盟、量販店路線へと切り替えます。
加藤修一社長就任後、出店が加速
とはいえ、まだ店舗は柳町本店1店舗のみ。チェーン展開は、1971(昭和46)年に有限会社カトーデンキに商号を変更した翌年、1972年5月にオープンした駅南店からとなります。水戸駅南の区画整理事業が1964(昭和39)年にスタートし、水戸駅南エリアが急速に開発されました。カトーデンキが駅南の土地を手に入れた当時はまだ賑やかなエリアではありませんでしたが、将来的なモータリゼーション(自動車の生活必需品化)を見越しての出店でした。結果的に駅南店は大成功し、やがて駅南「本店」となります。
駅南店出店以降、カトーデンキは水戸市内を中心に店舗を増やし、1980(昭和55)年には茨城県内に7店舗を構えます。同年10月には日本電気専門大型店協会(NEBA)に加盟。他の投稿でも触れましたが、NEBA結成当初は年商規模が足りず、カトーデンキは加盟できませんでした。しかし、加藤修一専務(当時)は、東日電チェーンの勉強会だけでなく、加盟前からNEBAの海外視察などにも参加しています。家電量販店初期の経営者や、二代目を継ぐ経営者などとの付き合いが生まれ、さらにはチェーンストア理論やランチェスター戦略など、当時を代表する経営理論を吸収します。当時の最新の経営理論を貪欲に学びました。
学んだ知識をただ実行するだけでうまくいくほど経営は簡単ではありません。しかし、知識が増え、様々な事例やいろいろな人の考え方に触れることにより、正しく判断する能力は向上します。1982(昭和57)年に加藤馨氏から社長の座を35歳(36歳の誕生日を迎える直前)で引き継ぐと、その後石岡市、日立市、稲敷郡、土浦市、那珂郡など、水戸市以外のエリアへの出店も急速に増加します(勝田市は社長就任前の出店)。単独店で売上を伸ばすステージから、多店舗展開で成長するステージへと変わるタイミングでの社長交代。父・馨氏の経営手腕を間近で見て、業界の動きや経営理論を幅広く学んだことが、カトーデンキのさらなる成長において大きく役立ちます。水戸市という地盤を固めたカトーデンキは水戸市外へと着実に地盤を拡大していきます。
そのような中、1983(昭和58)年。当時関東エリアに多店舗展開を図っていたコジマが茨城県に進出してきます。場所は現在の筑西市、下館店。さらに、1986(昭和61)年には水戸市に出店。対抗してカトーデンキも翌1987(昭和62)年にコジマの本拠地である栃木県宇都宮市に出店します。この時のことを加藤修一名誉会長は日経MJの連載「HISTORY ~ 暮らしを変えた立役者」で以下のように振り返っています。
1987年、コジマの本拠地の宇都宮に出店しました。茨城県外に店を出すのは初めてのことです。コジマの茨城進出から反撃に転じるまで4年かかったのには理由があります。カトーデンキ販売は店舗の運営効率性を落とさないよう、「地続き」での出店を原則としていたからです。
日経MJ「HISTORY ~ 暮らしを変えた立役者」より
カトーデンキ販売の知名度が低い栃木県での出店ですから、これまで以上に周到な準備が必要でした。信頼できる人材はいないかと考え、頭に浮かんだのは営業本部の平本忠課長補佐(現ケーズHD社長)でした。
当時の従業員は茨城県内しか店舗がないので皆、自宅から通っていました。転居することは想定外です。なんとかして説得しようと、平本君をなじみの「可志満(かしま)寿司」に連れ出しました。
話を切り出すと、新婚ホヤホヤの平本君は「ぜひ、行かせてください」と即答しました。理由は「家賃の半分が会社持ちなら、いいところに住めますから」とのことでした。
現在では、ほとんどの流通チェーンが全国展開しています。本社に指示されればなかなか拒否はできません。いろいろな地域に移り住むことを楽しく思う人がいる一方、家庭の事情で遠隔地への異動が難しいなど、勤務エリアを限定すれば昇進できないなど、転勤はいわば社員の会社への忠誠心を試す面すらあります。しかし、引っ越しを伴う他エリアへの出店も、当初はこのように社員を気遣ってお願いしていました。
さて、このような発言があります。「カトーデンキ販売は店舗の運営効率性を落とさないよう、『地続き』での出店を原則としていた」――これはチェーンストア理論におけるドミナント戦略の基本原則です。特定のエリアに集中的に店舗を出すことで経営効率を高めるとともに、地域内でのシェアを拡大し、競合に対し優位に立つことを狙う戦略です。加藤修一社長は、社長就任当初からこのドミナント戦略を忠実に実行します。
ドミナント戦略は多くの流通企業が採用しました。新規出店でエリアを拡大する際、離れた場所に出店すると、店舗ごとに人員や物流などを用意する必要があります。チラシもエリアごとに別途まく必要があります。結果、2店舗なら2店舗分のコストが丸々かかることになります。しかし、近接エリアであれば、商品搬送も立ち寄りルートを増やすだけで済み、物流拠点の増設は要りません。また、人員なども融通できますし、従業員の転居なども不要です。チラシも刷り部数を増やし配布エリアを広げるだけで済みます。「点」での出店ではなく、店舗網という「面」を形成することで地域のお客様にとっての利便性、知名度も高まります。ドミナント戦略は、出店攻勢を支える大きな武器となったのです。
加藤修一氏の場合、水戸周辺から茨城県内と徐々にエリアを拡大する際に忠実に「地続き」での出店を意識するとともに、人材の確保や教育、店舗を支援する体制の整備、財務面なども考慮し、店舗の出店ペースにも「無理をしない」ことを守りました。また、出店コストが抑えられ、優秀な人材を採用しやすい「不況期」に出店数を多くし、市場が好調な時は既存店を充実させるという「好況充実 不況拡大」の方針を確立します。この方針が、数々の不況を乗り越え、64年連続増収を実現した原動力となりました。
潮目が変わったドミナント戦略
郊外型家電量販企業各社が、出店攻勢をかけ、ヤマダ電機はいち早く2005年7月に、コジマも2008年3月に全国出店を達成します。しかし、バブル崩壊、そしてリーマンショックと大きな金融危機は、日本経済がいつまでも右肩上がりに成長し続けるわけではないという現実を突きつけます。「行け行け」の出店攻勢が難しくなり、経営が厳しくなった企業は個店単位での採算性を重視し始め、「不採算」店舗を閉鎖するようになります。
同一商圏に5店舗あるうち、一番小さい1店舗を閉鎖するのであれば、「店舗統合」として効率が大きく下がることはないでしょう。しかし、店舗が集中していないエリアでの閉店は、エリア自体からの「撤退」となります。それまでに構築した物流、様々な販促や店舗の親切によって積み上げてきた顧客を切り捨てることになります。「このエリアは今後人口が増えることはないから、店舗があっても無駄」というのは一見正しそうな判断です。しかし、店舗を面展開するという視点で見ると、相対的に残った店舗のコスト比率が上昇したり、あるいは県単位でのシェアが低下したりなどのマイナス面もあります。閉店チラシなどで、遠く離れた「○○店と統合しました」と言っても、閉鎖店舗を利用していたお客様がその統合店舗まで足を運ぶ可能性はかなり低いでしょう。今後も商圏規模が縮小するため閉店したということは、二度とそのエリアに今後出店することがない、完全に切り捨てたエリアになるのです。
ドミナント戦略は、新規出店で収益を拡大するという「積み上げ」だけでなく、人口が多いエリアだけでなく、人口の少ないエリアも面展開によってまとめてカバーできるという強みがあります。ネット通販の時代になっても、居住者にとっての生活インフラであるリアル店舗の役割は重要です。エリアによってはむしろ重要性が高まっています。生活インフラとしての店舗網をいかに支えていくか――という視点が、ドミナント戦略には今求められています。リアル店舗があるからこそできることを、しっかり考えるべきでしょう。また、単純に人口が多いエリアに出店するとしても、競合も同じ考えですから、店舗の過密状態が加速し、生存競争はさらに熾烈になります。
総務省統計局の2019年(令和元年)10月現在の人口推計によると、都道府県別人口増減率(前年比)は、増加が7都県、減少が40道府県です。うち自然増加(出生数が死亡数を上回る増加)は沖縄県のみで、他は社会増加(人口流入による増加)による増加です。減少率が高い県は、秋田県(-1.48)、青森県(-1.31)、高知県(-1.15)、山形県(-1.15)、岩手県(-1.12)、徳島県(-1.09)、長崎県(-1.05)、和歌山県(-1.05)、新潟県(-1.00)となっています。コロナの影響でこの状況にも多少変化はあると思いますが、日本全体で人口が自然減少しており、この傾向は今後ますます加速するものと予想されます。
人々の生活を支えるために、自社の店舗網をいかにして維持するか。店舗を今後長く営業し続けるために、いかにコストダウンや効率化を図るか。ドミナント戦略の活用も、かつての出店攻勢時代から見直しを迫られています。流通各社の社会に対するかかわり方、経営思想の違いが、今後はっきりあらわれそうです。
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