清濁併せ呑む姿勢

平成6年10月14日東日電解散式に出席した加藤馨氏

ケーズデンキ創業者の加藤馨氏、そしてケーズデンキを大きく発展させた加藤修一氏。ケーズデンキが大きく発展した要因の一つとして、二人が「清濁併せ呑む」経営者だったことが挙げられます。「清濁併せ呑む」を辞書で調べると、「心が広くて、善悪の区別なく受け入れる。度量が大きいこと」(大辞林)とあります。「他人や自分に対して、善悪両面を持ち合わせる」「良いことだけでなく時に悪いことをすることも必要」などと間違って使われることがありますが、「度量が大きい」というのが正しい意味です。加藤馨・修一両氏は、「あの人は悪い人だから絶対に近づかない」「あの人は敵だ」などと、付き合いに壁を設けることがありませんでした。

まだ社員が少なく一店舗しかなかった「加藤電機商会」時代、有能な社員が中途退職することになりました。その社員には、家族との生活を支えるためにいろいろと援助をしてきた中での退職でした。その際、加藤馨氏は、最低限の礼儀として「直近の援助分の埋め合わせとしてこの期間だけはしっかり仕事をするように」と告げたそうです。そしてその社員がしっかり勤め上げた後、送り出しました。退職した社員は、「加藤社長には申し訳ないことをした」と自責の念を抱いていたそうですが、ある時店の前を歩いていると加藤芳江氏(馨氏の奥さん)に声を掛けられ、お茶でも飲んでいきなさいと呼び止められます。そして事務所で、馨氏から退職後の近況などを聞かれたといいます。「裏切られた」とか「育ててやったのに」といった感情は加藤馨氏にはありませんでした。その後も馨氏とその社員の付き合いは続いたそうです。

また、個人店時代に加盟していた茨城県電機商工組合との付き合いも大切にしていました。1985(昭和60)年以降、カトーデンキは量販店として業容が拡大し、コジマやヤマダとの価格競争で戦っていました。量販の価格競争に巻き込まれた個人電気店は危機的な状況に追い込まれ、当然カトーデンキ、そして当時代表取締役会長だった加藤馨氏に対する組合内の風当たりも強くなります。そして、1991(平成3)年3月に加藤馨氏は茨城県電機商工組合に脱会届を出します。

組合脱会に関する通知
謹啓貴組合の皆様には組合創設以来32年の長きにわたり大変お世話になり誠に有難く厚く御礼申し上げます。
さて諸情勢の変化に依り当社も規模が拡大し社員も480名、資本金も9億7千8百万円となり、中小企業団体法に基づく貴組合に在籍することは法的にも無理があり一部の方々からも以前からご注告を頂いて居りましたので、貴組合にご迷惑にならない中に脱会したいと考へ来たる平成3年3月31日を以って脱会することに決しましたのでここにご通知申し上げます。      以上

なお、脱会致しましても今後共皆様と変りませづご交際を続けさせて頂き度お願い申し上げます。

平成3年3月7日 加藤馨氏から茨城県電機商工組合中央支部宛てに送られたFAX
茨城県電機商工組合への脱会届。加藤馨氏は脱会後も組合のことを常に気にし、ことあるごとにお祝金などを送って活動を支援した

加藤馨氏は、1959(昭和34)年に茨城県電機商工組合が設立された当時から組合活動を支え、支援してきました。1972(昭和47)年まで茨城県電機商工組合の理事を務めています。さらには、電機商工組合の前身である「茨城県ラジオテレビ電機組合連合会」でも理事を務めており、理事長による出資金の使い込みの後処理に取り組むなど、組合を支えてきました。組合設立からの中心人物でしたが、量販店に業態転換し、飛躍的な成長を遂げたことで組合を脱会します。

しかし、加藤馨氏は決してスパッと関係を断ったわけではありません。その後も、組合の会合や新年会、研修旅行などがあるたびにお祝金として何万円も送ります。「当方老齢の為欠席とさせて頂きます。なお、お祝金として〇万円をお贈り致しますので恐縮ですが集金にお来し下され度お願い申し上げます」というFAXの控えがたくさん残されています。先の脱会届にあるように、組合の中には量販店となった加藤氏を敵視する人もいたでしょう。しかし、それでも関係を断つことなく支援を続け付き合い続けたのは、加藤馨氏が「損得」や「感情」ではなく、人とのつながりを大切にしてきた証左と言えるでしょう。このような付き合いは他にもたくさんあります。

加藤馨氏は社会的に「よくない人」とされる人にも、深入りして関係を強くすることはなかったものの、門戸は閉ざすことはありませんでした。良い人の意見ばかりを聞いていても見かたが偏る、悪いとされる人の意見も聞くことで物事をとらえる視野が広がる――加藤馨氏はこのように考えていたようです。

門は広く開けておく

社長を引き継いだ加藤修一氏も、馨氏と同じ姿勢でした。量販店を目指す電気店の勉強会では、参加した会社に後にケーズデンキFCとなったところが少なくありません。中にはFC加盟の直前になって、ケーズデンキの役員を社長に迎え入れ、独自路線に切り替えた会社もあります(結局はうまくいきませんでした)。また、「単独では今後戦っていけない」とFCとなり、子会社化された会社のトップには、加藤修一氏に「商売はこうした方が効率が良い」「加藤さんは甘すぎる」などと、アドバイスをする人もいます。傍から見れば、ケーズデンキの子会社になって加藤修一氏の経営方針のもとにいたから今があるのに、ずいぶんと失礼な話だなと思いますが、加藤修一氏に気にするそぶりはありません。このあたりは本当に懐が深いと驚かされます。

また、加藤修一氏を裏切るような形で袂を分かったはずの人が、その後も「儲け話がある」「こんないい話がある」と連絡をしてくるケースもあります(怪しい話ですが、連絡してくる本人は本気で信じているようです)。それらに対し、加藤修一氏は決して「迷惑だ。連絡してくるな」と突き放したりしません。話は一応聞いて、単に受け流すだけです。くだらない眉唾物の話の中にも、時には役に立つ関係づくりにつながることもあるかもしれない、だからこそ門戸は開いておくという姿勢です。

実際、加藤修一氏は、かつてのNEBA(日本電気大型店協会)で一緒に勉強した競合量販、あるいはメーカーや証券会社の幹部など、いろいろな人との関係が今も続いています。切らないからこそ、そして受け入れる姿勢があるからこそ、何かの拍子にいろいろな人が声を掛けてきて、付き合いが続くのです。

加藤馨氏の人生観は「正しく、誠実に生きる」ことでしたが、だからといって「清い水ばかり」の環境にいようとしたわけではありません。人はさまざまです。悪い人が良いことをすることもあれば、良い人が結果として悪いことをしてしまう場合もあります。「清濁併せ呑む」姿勢というのは、正しく、周囲に非難されるようなことをせず、自身の立ち位置に自信がなければできないことです。「あの人は良い人、あの人は悪い人」「あいつは敵、こいつは味方」「あいつは好き、あいつは嫌い」といった切り捨てではなく、人間の多様性を受け入れながら、自身はぶれずに正しい行動をしてきたのです。

そのような加藤馨氏の姿勢は、子供の頃からそばで見てきた修一氏にもしっかり引き継がれました。自分の方が立場が上とマウンティングしたり、相手を敵視したりしないからこそ、敵を作りにくいのです。筆者は家電量販に限らず、いろいろな会社の経営者を取材したり話したりしてきましたが、多くの会社で、トップの好き嫌いや使える使えないという私見が人事や日々の業務に影響し、結果として派閥のような組織内の軋轢が生じていました。このような軋轢は上流から下流へと波及し、組織全体がギスギスしたものとなりがちです。社内に対しても、社外に対しても、常に門戸を広くしておく姿勢が、組織を健全化させるのだと筆者は強く思います。

ケーズデンキが社員を大切にし、取引先を大切にする会社として、社会的に評価されてきた背景には、このようなトップの「清濁併せ呑む」姿勢があり、受け継がれてきたことで、会社が社会的に非難されなかったことも影響しています。このことをぜひ皆さんに知っておいてほしいと思います。

研究所長 川添 聡志

株式会社流通ビジネス研究所 所長 雑誌および書籍の編集者として出版業界に携わる。家電量販店向け業界誌『月刊IT&家電ビジネス』編集長を務めた後、家電量販企業に転職。営業企画やWebを含めた販促などを担当し、その後流通コンサルタントとして独立。ケーズデンキ創業者・加藤馨氏および経営を引き継いだ加藤修一氏の「創業精神」を後世に伝えるため、株式会社加藤馨経営研究所の設立に携わり研究所所長に就任。その後、ケーズデンキに限定せず、幅広く流通市場を調査研究するため、2022年1月からコンサルティング会社「株式会社流通ビジネス研究所」を設立し、同年4月より活動拠点を新会社に移行

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