※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。
2020年11月19日に掲載した「社員のためになるようにすれば会社は成長する」の記事で、従業員が会社を辞めて独立することなく、定年まで働けば一財産を築けるような会社にしようと考え、株式会社カトーデンキを分割して新たに「株式会社カトーデンキ販売」を設立し、社員も役員も会社の株式を持つようにしたというエピソードを紹介しました。「社員を大切にする」というケーズデンキの創業精神を象徴する出来事です。
カトーデンキ販売の設立は1980年9月22日。名前の通り販売会社です。一方、従来の株式会社カトーデンキは、販売部門を切り離し、不動産管理会社として創業家である加藤家が引き継ぎました。簡単に言えば、店舗等の固定資産などは旧会社がそのまま管理し、新会社である販売会社は店舗物件を旧会社から賃貸するかたちです。現在では、中小企業の事業承継でよく使われる手法で、主に創業家が創業家以外の人間に会社を引き継ぐ際に、経営と所有を分離、その上で営業会社の全株式を不動産管理会社が所有し、営業会社に対する支配権を創業家が持つかたちをとります。しかし、カトーデンキの場合、営業会社は創業家と社員が50:50で対等に株式を所有するかたちとしました。
会社設立の前年にあたる1979年の加藤修一氏の手帳には、この新会社設立についての構想がメモとして残されています。固定資産や固定負債は不動産管理会社へ、流動資産や流動資産は販売会社へと分割すること、新会社を同族会社にしないこと、どちらかの会社が中小企業優遇を受けられるようにすることなどが記されています。
加藤修一氏にこの手帳の記述について聞いたところ、当時の勉強会では、よく販売会社と不動産管理会社を切り分ける手法が話題に上がっていたそうで、そのような勉強会でメモしたものだという話でした。つまり、直接的なカトーデンキ販売設立&社員持ち株制度の構想ではなく、一般論としての会社分割に関するメモだったようです。
よく見ると、出資金のところに「一般」「社員」「不動産会社」「オーナー」「持合」「メーカー」とあります。これは、出資者をどのように構成するか、出資者の種類を列挙しているだけで、カトーデンキ販売が「社員」「創業家」がきっちり半々出資するようにした事実とは異なっています。また、その少し下にある「どちらかの会社が中小企業特典を受けられるようにする」というのも、加藤修一氏の記憶では「どちらの会社も受けなかった」そうです。とはいえ、このような業界団体での研究会や勉強会の知識が、後に役立ったのは間違いないでしょう。実際、このページの左上には黒く太い線が三本引かれており、色あせていますが、蛍光ペンでマークしていた形跡もあります。
加藤修一氏の著書「すべては社員のために『がんばらない経営』」には、カトーデンキ販売設立に際し、「父は東日電加盟当時、社員の退職金制度の研究を担当したことがあり、それが活かされました」との記述があります。馨氏の退職金制度に関する知識、そして修一氏の会社分割に関する知識。ケーズデンキの歴史において、大きな意味を持つ「会社を分割して社員に株主になってもらう」ことは、二人が経営研究会や業界団体での研究などで得た知識に裏打ちされ実現できたのだとわかります。
知識の吸収力と考える力
ちなみにこの1979年の手帳には、3月12~13日に開催されたNEBAトップゼミに加藤修一氏が参加したことも記されています。NEBA(日本電気専門大型店協会=のちに日本電気大型店協会に名称変更)は1972年に設立されましたが、2005年8月をもって解散しました(ちなみに解散時の副会長が当時のギガスケーズデンキ社長の加藤修一氏です)。カトーデンキ販売がNEBAに加盟したのは1980年、会社を分割した年ですが、この時点ではNEBAの正式メンバーではありませんでした。ちなみにNEBAが1977年に開催した「米国小売業マネジメント視察」にも加藤氏は参加しています。普段「勉強はしなかった」と語る加藤修一氏ですが、この時期の手帳を見ると何でも学び、吸収し、そして経営から販促、商品販売計画など、あらゆる業務をこなしていたことがよく分かります。
戦後復興を象徴した家電製品の普及。そして地域電器店から混売店、そして量販店の台頭。生活も商売のあり方も大きく変化していたこの当時は、次の時代に不安と大きな希望を持っていた時代です。これからどのような時代になるのか、どのようなビジネスが成長するのか、新たな知識をどん欲に求めていました。量販企業も競合として戦いつつも、経営のノウハウなどを東日電などの業界団体の勉強会で惜しげもなく披露していました。知識の吸収力が高い加藤修一氏にとっては、苦しい勉強ではなく「面白」かったのでしょう。さらには、いろいろと聞いた知識をただ鵜呑みにするのではなく、何が正しいか、どの考えかたを取り入れるべきか、しっかり判断してきたのです。
同じように東日電の経営研究会やNEBAトップゼミに出席し、話を聞いた経営者は当時たくさんいました。しかしながら、現在残っている会社は多くありません。当時カトーデンキよりも規模が大きく、経営理論を語っていた会社も倒産したり、あるいは厳しい流通業界から撤退してリサイクルショップのFCになったり、大きな会社に吸収されたりしました。
同じ材料を用意しても、調理する料理人によってできあがる料理は大きく変わります。経営も同様です。高学歴で膨大な知識量があってもうまくいくとは限りませんし、現場の肌感覚や勘だけでは通用しません。危険なのは、「理解している」「知っている」気になって「考える」ことを放棄することです。知識や肌感覚におぼれると、新たな知識を得たり、定石と呼ばれる手法を疑って考えることができなくなります。馨氏と修一氏は、ともに新しい知識をどん欲に吸収しながら、正しいことを見極める柔軟さを常に持っていました。「がんばらない経営」は、ぱっと見、誰にでも理解できそうな文言が並んでいます。しかし、その背後には、競争が激しい家電流通市場で培われた経験と何が正しいかとことん考え抜く力があります。ここを忘れてしまうと「理解している」気になってしまいかねません。
「がんばらない経営」がつくられた、家電流通の激動期を体験した人、知っている人はもはやほとんど量販企業にも残っていません。加藤馨氏や加藤修一氏がどのように「がんばらない経営」を実現し、「社員を大切にする経営」で安定成長を実現してきたのか、正しく理解するためには、このような家電流通の歴史的背景の理解も大切です。現在では、企業数も絞られ、家電市場自体も大きな成長が見込みにくい成熟市場となっています。しかし、流通を取り巻く環境は常に変化するものです。激動期を勝ち抜き、市場環境に左右されず安定成長を実現した「がんばらない経営」は、市場環境が異なる現在も変わらず学ぶべきことの多い、大切な経営思想なのです。
当研究所では、現在の家電流通市場しか知らない人が、時代背景や家電流通の変遷を理解する手掛かりになるような情報もしっかり提供していきたいと考えています。興味のある方は、ぜひ気軽に研究所に資料を見たり、話を聞いたりしに来てください。研究所は決して、閉じこもって資料を整理し研究するだけの場ではありません。興味を持ち、知りたいと思った人がいつでも気軽に学べる場でもあるのです。
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