人を大切にする創業精神

加藤馨氏が残した退職社員の社員履歴書綴

※本記事は「株式会社加藤馨経営研究所」サイトにて執筆・公開した記事です。

ケーズホールディングスは、2013年に第3回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞で「実行委員長賞」を受賞しました(リンク)。この賞は、過去5年以上にわたって「人員整理、会社都合による解雇をしていない」「下請企業、仕入先企業へのコストダウンを強制していない」「障害者雇用率は法定雇用率以上である」「黒字経営(経常利益)である」「重大な労働災害がない」などの厳しい条件をクリアした企業が対象です。本来ケーズHDのような規模大きい会社は対象となりませんが、「がんばらない経営」「社員を大切にする経営」が評価され、実行委員長賞を授与されたという経緯があります。

ケーズHDは日経ビジネス誌「アフターサービスランキング」「日本版顧客満足度指数(JCSI)」などいろいろな賞を受賞していますが、加藤修一氏が最もうれしいと思ったのが「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞でした。受賞した2013年は、加藤修一氏はすでに社長の座を譲り、代表取締役会長兼CEOとなっていましたが、過去の実績および経営姿勢が評価されたという意味では、自ら(そして自身が育て上げたケーズデンキ)が評価されたと言えます。評価されるために経営してきたわけではありませんが、自ら正しいと信じて取り組んできた経営が第三者に認められたことは本当に大きなことです。

本賞の事務局である「人を大切にする経営学会」の藤井正隆事務局次長・著、坂本光司会長・監修の書籍『「いい会社」のつくり方』(WAVE出版 2016年8月発行)に以下のような記述があります。

 お歳暮を社員に贈る会社も少ないでしょうが、ケーズデンキは正社員だけでなく非正規社員にも贈る会社です。中小企業であれば、正規社員と非正規社員を区別しないところがあるかもしれませんが、パートも含め1万3739名(2016年3月期連結情報)という規模の会社では、ほとんどないでしょう。
 正社員は、自分の将来がかかっているために、頭のどこかで、いつも会社や仕事のことを考えます。単に人件費を抑えるために非正規社員を増やすことは、本当に効率的かどうかを問い直す必要があります。
 時間的な制約その他の理由から、非正規社員のままで幸せな人もいます。非正規社員が幸せであれば、そのままでいいのですが、本人が正規社員を望み、正規社員と同じような仕事をしているのに、人件費を抑えるために非正規社員化を進める会社は「いい会社」とは言えないでしょう。

藤井正隆事務局次長・著 坂本光司会長・監修『「いい会社」のつくり方』(WAVE出版 2016年8月発行) より

知らない方のために説明すると、ケーズHDでは年末にパート・アルバイトまで含めて全従業員に会社からお歳暮(私が在籍していた当時は数の子)を渡していました。報酬や福利厚生ということではなく、従業員に対する感謝の思いで続けられてきた取り組みです。とても美味しい数の子で、社員数が増えてからは仕入れ先の那珂湊の会社がたいそう苦労して調達していたそうです(ちなみに筆者は数の子を食べられなかったので、家族や知人にあげていましたが、とても喜ばれました)。

一般的な会社なら、社員が増えればコストを抑えるために「社員優先」あるいは「廃止」を検討するでしょう(会計処理上の面倒を避けたい面もあります)。しかし、非正規社員か正規社員かにかかわらず、会社が日々の貢献に感謝を示すとのは大切なことです。創業者の加藤馨氏は、人を採用するにあたっても、その人の家庭環境や生活状況を聞き、働くことでその人の人生がより良いものになるよう常に考えてきた人です。その姿勢はしっかり加藤修一氏にも引き継がれました。まさに「社員を大切にする」創業精神といえる取り組みです。

人を大切にしにくくなる風潮

さて、先の書籍『「いい会社」のつくり方』の引用に、正規社員と同じような仕事をしているのに、人件費を抑えるために非正規社員化を進める会社は「いい会社」とは言えない——という文章がありました。これに関連するエピソードを紹介しましょう。

流通企業では、店長会議や集合研修などが実施されていますが、その中で店長たちから本社幹部への質疑応答が行われます。これは本社幹部が現場からの意見を吸い上げる貴重な機会です。ある流通企業でこんな意見が店長から出ました。「私の店では非常にまじめに働き、お客様の評判もよく、売上成績も優秀なフルタイムパートがいます。本人もいつか正社員になりたいとがんばってきました。しかし、いくら人事部に正社員採用を打診しても、今は採用枠がないと言われてしまいます。いつまでもパートのままで仕事は続けられず、このままでは退職してしまいます。正社員登用の基準など見直すことが必要ではないでしょうか」。

これに対する、人事部長の回答はこうでした。「〇〇店長はもともと人事部長だったわけですから、人事部長の時にそういうことを検討してもらえればよかったんですけど(笑)」と切り出し、幹部を含む会場の笑いを誘ってから、「新卒採用枠があって全体の採用枠は限られている」「現在全体としての人員は余っている」「個別に検討はしたい」などと回答したそうです。実際、質問した店長は以前人事部長でした。

さて、ある流通企業でのエピソードですが、現在の人事部長が「うまい返し」で元人事部長を笑いものにした印象です。しかし、見かたを変えれば、元人事部長だった人が、店長として現場に戻り、そこで課題に気づいて発言したわけで、本来なら「重い」発言でしょう。しかし、現在の人事部長は、質問者の揚げ足をとることでその質問を“軽く”印象付けています。さらに、前任者の落ち度を指摘し、立場をおとしめることで、自分の優位性をアピールすることにもつながっています。

このような「揚げ足とり」は、幹部、特に人事担当者は決して口にしてはいけないものと筆者は思います。建設的な議論につながらないばかりか、会議や集合研修の参加者が発言しにくい雰囲気を生じさせます。たとえば、店舗のオペレーション上の困りごとを発言しても、「うまくやっている店もあるのに、あなたの店はどうしてうまくできないのか」「これは難しいという前に、まずは自分の店のできていないことを直すべきではないか」と返す。「論点ずらし」や「すり替え」は、発言者を攻撃する論法にしかなりません。

このような返しは、映画「男はつらいよ」の寅さんを見ると分かるでしょう。一例を挙げると‥‥。
 タコ社長「いいか寅、てめえなんかにな、中小企業の経営者の苦労がわかってたまるか!」
 寅さん 「この顔が苦労している顔か? この野郎。風船みてぇにぶくぶくしやがって!」
タコ社長が寅さんに言いたかったのは、「中小企業の経営者の苦労」を理解してほしいということではありません。好き勝手言っている寅さんの態度に文句を言ったのです。しかし、寅さんは論点をすり替えます。相手の言いたいことを無視して、「見た目が苦労しているかどうか」と論点をすり替え、「お前の顔は、苦労している顔ではない」と一方的に容姿をけなします。容姿をけなすことで、相手の発言そのものを無意味なものにしてしまいます。これは映画だから笑えるやりとりで、怒ったタコ社長はそのあと寅さんとつかみ合いになります。しかし、会社の会議では、幹部と社員のやりとりですから、立場は一方的で、文句を言うことすらできないでしょう。

こういう発言を「その返答はおかしい」と指摘してこそ、社員が自由にものを言える会社になります。その場では気づかず、一緒に笑ってしまうこともあるでしょう。しかし、時間をおいて考え、おかしいと感じた場合は、次の機会に指摘できるようにすることが大切です。それが「社員を大切にする会社」という精神を守ることにつながるのです。

社員を大切にしてきた創業家の思い

ケーズデンキ創業家が正規社員、非正規社員に関係なく、全従業員にお歳暮を贈っていたことは、上記論法とは正反対で、言葉にしなくても、従業員を大切にする経営者の思いを伝える大切な行動でした。これを費用対効果で考えれば「無意味」ととらえるかもしれません。手間とコストがかかり面倒と考えるかもしれません。

しかし、行動や発言には、数値で判定できる効果もあれば、数値で判定できない効果もあります。先の非正規社員登用のエピソードであれば、店長からすれば、会社を好きで一所懸命仕事をしている社員の姿をじかに見て、この社員の生活設計、人生設計をなんとかしてあげたいという思いを抱いています。一方で、人事部長は、社員数や人件費率、適正人員といった数値でしか見ていません。会社が大きくなれば、社員一人ひとりの姿は見えなくなり、単なる数字にしか見えなくなりがちで、これは「大企業病」の一症例と言えるでしょう。数字は判断材料にはなっても、常に正しい判断基準であるとは限りません。どちらが「人を大切にする」姿勢か、一目瞭然でしょう。それならば、店長が納得できるような議論をすべきではないでしょうか。

ケーズデンキ創業家が始めた従業員へのお歳暮、あるいは加藤馨氏が採用時に社員の家族に会い、生い立ちや家庭環境の話を聴いて、社員の人生設計まで考えたことは、「人を大切にする」創業精神そのものです。そして、その創業精神が「 日本でいちばん大切にしたい会社」で評価されたのです。すでに創業家の手を離れたとはいえ、現ケーズHDには、このような創業精神を大切にし、例に挙げたような大企業病の流通企業にはなってほしくないと心から願います。

昭和32年に採用した社員について、加藤馨氏が記述した「身上書」。戦争が終って十数年で、まだまだ人々が厳しい生活環境にある中、採用した社員の家庭事情や生活環境にまで目を配っていたことがわかる。「家は終戦後建てたバラックのままであり一日も早く家を建てなくてはならない。何とか協力して早く」
採用した社員をどう教育、指導したか、加藤馨氏は細かくメモを残している。退職した社員の「社員履歴書綴」を見ると、ケーズデンキの「人を大切にする」原点が理解できる。4年後に記した目標に「自分の家を建てる努力をすること」とある。

研究所長 川添 聡志

株式会社流通ビジネス研究所 所長 雑誌および書籍の編集者として出版業界に携わる。家電量販店向け業界誌『月刊IT&家電ビジネス』編集長を務めた後、家電量販企業に転職。営業企画やWebを含めた販促などを担当し、その後流通コンサルタントとして独立。ケーズデンキ創業者・加藤馨氏および経営を引き継いだ加藤修一氏の「創業精神」を後世に伝えるため、株式会社加藤馨経営研究所の設立に携わり研究所所長に就任。その後、ケーズデンキに限定せず、幅広く流通市場を調査研究するため、2022年1月からコンサルティング会社「株式会社流通ビジネス研究所」を設立し、同年4月より活動拠点を新会社に移行

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